近くのスーパーで「蓮花茶」を買いました。
さっそくいただきました。
パッケージをあけるとほのかに漂う蓮の匂い。
う~ん、いい感じ。
お味は、というと。
う~ん、そこそこ 笑。
でもそのチープさがいいのです、何となく。
以前の私なら、オーガニックにこだわって、できるだけ良質なものを、と考えたのですが、最近はその辺の「しばり」はなくなりました。
オーガニック信奉ってどうなんだろう、という想いが出てきたから。
もちろんオーガニックの良質なものが手に入るときはそれを楽しむのも良いけれど、オーガニックでなければ楽しめなくなってしまうのって、個人的に大変かな、と。
ちょっとたとえは違うかもしれないけれど、お釈迦様は托鉢でいただいたものはお肉でもなんでも食べたそうです。
すべて「ありがたく頂戴します」という想いだったらしいのです。
もし万が一、サバイバル時代に突入して、オーガニック製品は本当にごく一部の人にしか手に入らない状況になった時、「オーガニックでないと」とポリシーを貫き通すのはかなりつらいのではないでしょうか。
いえ、もちろんいけないと言っているのではなく、私はそう感じていて、実際オーガニックに関するこだわりはほとんどなくなってきました、というだけのお話です。
つまり人の価値観は変わる、ということをこの蓮花茶は私に教えてくれたのですね。
元々私は蓮の花が大好きで、パッケージのイラストをみるだけで満足してしまっていて、お味、風味などは二の次というのが本当のところなのかもしれません。
確か蓮の花って女性性に関係しているはず。
色もピンク、ですしね。
オーガニックだろうとそうでなかろうと、多分蓮の花の精霊はその中にエネルギーを入れてくれていて、どんな人にでも平等に、公平に愛をチャージしてくれているんじゃないでしょうか。
森羅万象に魂が宿るって本来はそういうことなのかな、と。
どっちが上とか下とか、どっちが善とか悪とか、ではなく、みんな正しく、みんな正解で、みんな普通で、みんな特別で。
あ、やっぱり蓮の花の精霊ちゃんはきてくれているのですよ、あの「チープシック」なお茶と共に。
何だかとってもふわっとして優しい気分にしてもらえているから。
これもひとつの「癒し」「ヒーリング」ですね、きっと。
「特別」を求めなくてもちゃんと「私に合った特別」がやってきてくれたようです。
※ 追記
今、パッケージを確認したらベトナム製でした。蓮の花の上に蝶々もいて、そっか、もしかしたらベトナムの風が届いたのかも、と感じました。