先日、瞑想をしていたらおへそにとてつもないエネルギーが入った、おへそを調べてみたら私たちのおへそは「へその緒」によって胎内で母の肝臓とつながっていたらしいことがわかった、とお話しました。
肝臓は主に怒りを貯蔵する役割のある臓器。
そこにエネルギーが入ったということは、おそらく母の記憶の中の「怒り」を私自身が受け継ぎ、それが綺麗に浄化されていったよ、というメッセージなのでは、との自己分析についてもお話しました。
きのうのこと。
そういえば私は一時「精神安定剤」と「睡眠薬」的お薬を大量に常用していたことを思い出しました。
20代の後半のお話です。
会社勤めを辞め、フリーランスで仕事をはじめ、ことあるごとに「女の癖に生意気だ」と言われ続ける毎日でした。
本当に生意気でした 笑。
ストレスはピークに達していました。
ちょうど同じころ、今は亡き父親が「うつ病」を発症してしまい、父子癒着ともいえるくらい、お互いのエネルギーが近かった父の想いに私はものの見事に共鳴してしまいました。
私自身は発症はしませんでしたが、仕事をするために、それらのお薬が必須な状態に陥ってしまったのです。
専門的解釈ではなく私の個人的記憶によるものなので、もしかしたら事実とは異なる内容もあるかもしれませんが、それらの薬は私の場合、すぐに依存をうみだしました。
薬の効果が感じられず、どんどん服用する量が増えていったのです。
睡眠薬を飲んでも飲んでも眠れない。
当時のメインの仕事は毎週末出張に行かなければいけない仕事だったので、本当に応えました。
そして突然意識不明の状態になって倒れてしまったのです。
その後集中治療室に数日入っていたとのこと。
母は医師から「覚悟してください」と言われたそうです。
数日間、まるでぐっすりと眠っていたかのようにそれはそれはさわやかな表情で目を覚ましたと、当時の医師はかなり驚いていた様子でした。「原因がまったくわからない」と。その後、検査に検査を重ねて、医師の診断は「パニック症候群」、今でいう「パニック障害」とのことでした。
その後、私は「仕事を辞めないと死にますよ」という医師の言葉に従い、半年以上自宅療養・静養のような形を取りました。
その時の大量のお薬の記憶がまだ肝臓に残っていたのかもしれない、と。ふときのう感じたのです。
なんでも肝臓には「生」と「死」というテーマがあるそうです。
肝臓にトラブルがある時は死に向かっているサインとの解釈もあるんだとか。
同時にどれくらい自分を攻撃しているか、また自分の影の部分を手放さずにもっているかの指標という見方もあるとのこと。
私は生まれつき肝臓の働きが弱く、精神的ストレスに弱い体質でした。
そんな私がある意味、抗精神剤に依存したのは運命だったのかもしれません、まちがいなく。
半年間の自宅静養・療養の時に、それらのお薬を全部やめるケアを続けました。
そのため、信じられないほどに期間限定でのお薬依存で済みました。
あれだけのお薬を飲んだのに、考えてみれば肝臓の数値が悪くなることもなく、今ではおそらくほとんど正常の範囲の働きをしてくれるようになっている気がします。
西洋医学的な治療はしたことはありませんが。
この流れをみた時に「肝臓=リバーは命の座」という言葉の意味が明確にわかりました。
私は元々肝臓が弱かった。
つまり私は元々「生」ではなく「死」を意識していた魂だったのではないでしょうか。
ところが一切のお薬とお別れして、さらに自分自身の影に徹底的に立ち向かうという心理的アプローチを自分自身で行ったことによって、おそらく私の人生の方向が反転してしまったのです。
「死」から「生」へ、と。
肝臓がたくわえる感情のひとつに「自分の成長を邪魔したいという欲求」が含まれているという説があります。
私は自分を痛めつけ、攻撃するという選択をしていたのですね、ある時期。「死」に向かうため。私が意図していたものは魂の力による「自死」でしょうか。
そしてそれが「今」反転した。
私は自分の人生を生きるために前進するのだと。
こう考えると確かに肝臓は「命の座」なのでしょう、すべての人にとって、あなたにとって。
今肝臓に何らかのトラブルがある方は、意識を変えるチャンスを与えてもらっているということになるかもしれません。
あなたはどっちを選ぶの ?
「死」、それとも「生」 ?
あなた自身の人生を生きる、そのきっかけはあなたの中にあるよ。あなた自身で決められるよ。
そのどちらを選んでもいいんだ。
それがあなたの選択なら、まちがいはない。
すべて正解だから。
そういえば肝臓にはレバーがいいと、一時毎日レバー炒めを食べさせられました。
私はレバーが大嫌い。
なんでこんなにまずいものを毎日食べなくてはいけないの ?
あの時の私の心は徹底的に反抗していたのです、「生」に向かう自分を。
そんな「魂」でも反転のチャンスは訪れた。
私にとって肝臓の働きが弱い、精神的ストレスに弱い、疲れやすい、という特性は一生付き合わなければいけないものだとあきらめていました。
もしそれらを手放していいのなら、なんと私の心身魂は身軽になることか。
体質、気質は変えられる。
意識を変えることによっても。
まさかこんな日が来るなんて。
だからおもしろいのですね、私たち一人一人の人生のすべてが。
言うまでもなく、当エッセイには「希望」のエネルギーが込められています。
どなたがどう感じたとしても。
命の賛歌。