なぜ私たちには「絶望感」という感情があるのでしょうか。
先ほどわかった現時点での私の答え。
それは「人生に希望を見出すため」。
山と谷の法則。
光と影の法則。
山が高ければ谷は深くなる。
光が大きければ影は大きくなる。
海外の著名アーティストなどの人生をみてみると、光がとてつもなく大きい分、その影や闇が大きいことに気づきませんか。
巨万の富を築いた。一方、たくさんの人に裏切られた。
富と栄誉と名誉と名声、すべてを手に入れた。一方、最期はたった一人で淋しく息を引き取った。など。
私たち凡人には想像もつかないような人生の光と影の体験。
そのどちらもがあってのその人の人生。
光だけでも影だけでも存在し得ない、輝かしすぎるほどの人生です。
では私たちが人生に希望を見出すのなら、その反対とも言える「絶望感」を感じる必要があるのではないでしょうか。
もっとも私たちが経験しやすい「絶望感」は、大切な人、大切な存在を喪失した時の計り知れない哀しさと絶望感かもしれません。
大切な家族が旅立った。
大好きな恋人が旅立った。
人生の師ともいえるような大切な存在の旅立ち。
大切な大切なペットの旅立ち。
あるいは命がけで取り組んできた、大切な仕事や人生の課題の喪失。
その仲間の喪失。
大切に育んできた家、家族、財産、絆などの喪失。
日常的なシーンでその数々に遭遇するケースは少なくないはずです。
その都度、私たちは
「なぜ、こんなことが ?」
「なぜ、私だけ ?」
「どうして今 ?」
「私が何をしたというの ?」
そんな、憤懣やるかたない感情を味わいます。
でもそれらは外からの力によるものではなく、根本の根本を考えれば自分自身の意識の中で起きていることです。
が、たいていの場合、そうは感じられません。
誰かのせいで。
何かのせいで。
そうやって犯人捜しをしてしまうのが私たち人間の常なのかもしれません。もちろん私も。
が、本当はその機会はトコトンその喪失に対する絶望感を味わいなさい、というものなのではないでしょうか。
逃げずに、目を背けずに、自己防衛機能を働かせずに、トコトン味わいなさい、と。
するとその先にあなたはその絶望感と同じだけの希望を人生に見出せるのですよ、という。
私個人に限って言うと、両親と兄が突然死。
愛猫・ぴぴ麿は生後5か月になったその日に旅立ち、愛猫・海・かいは数日の猶予があったものの、形としては突然死に近い形で旅立ちました。
私はその都度、おそらく犯人捜しをすることに夢中になって、その喪失に対する絶望感を感じることから逃げていたような気がするのです。
何かのせい、誰かのせい、と。私の無意識のところ。深層心理の部分です。
その決定打となったのがこの4月、突然死の形で旅立った以前の友人だったのではないかと先ほど気づきました。
彼女の死には最初から真正面から向き合いました。
逃げるもんか、と。
哀しい現実を美化するのは絶対やめよう。
なぜ彼女が旅立ったのか、すべてを受け止めること、すべてを認めること、すべてを受け容れることが友人だった私のつとめなんだ、と直感的に感じたからです。
人が亡くなると周りの人は必ずその人の人生も旅立ちも美化します。
少しでもその人に対する「マイナス」の意見を言うと、周りの人は「亡くなった人を悪く言うもんじゃないよ」と言います。
悪く言ってるのではなく、真実を言っているだけなのに。
その人の人生の「正」も「負」もあってその人が生きた証がこの世に残るのに。
今回ばかりは、そういう「感傷」はやめよう。そういう「自己防衛」はやめよう。
全事実を受け容れよう、と感じました。
もちろん彼女の人生のすべてを知っているのは彼女だけ。
そのうちの私の知る部分はほんのわずかかもしれません。
それでも私のわかる範囲そのすべてを現実として受け容れよう、と心に決めました。
友人の旅立ちから4か月。
やっと区切りがついたのかもしれません。
その、私のできる範囲での「全受容」という行為に彼女がプレゼントを届けてくれたのかもしれません。
「ありがとう、喪失の絶望感を感じてくれて。私の人生を共有してくれて。その先にきっと人生の希望が見えてくるよ。大きな、大きな希望が」
私の妄想かもしれません。希望的観測・推察かもしれません。
それでも私が感じていることは、今の私にとっての大切な「真実」です。
もしもあなたが今、人生において何かの絶望感を感じているとしたら、その感情をトコトン味わってみてはいかがでしょう。
トコトントコトン味わい尽くした先に、きっと光が見えてくるはずです、希望という名の光。
あなたの人生には希望があるよ、希望に満ち満ちた明日があるよ、という光です。
絶望というコインを裏返すとそのコインは希望に変わります。
その絶望が大きければ大きいほど希望もまた大きくなります。
あきらめないで人生を突き進みましょう。
自分の運命の光を信じて。
喪失の先にあるのは新たな創造物ではないでしょうか。
希望と共に視えてくる、あなただけの新世界。
あなたしかのぞけない、感じられない、新たな世界。
それを体感するためにあなたは生を授かっているのです。
私も同じように。
喪失を喪失感で終わらせない。
絶望を絶望感で終わらせない。
私たちのすべてに与えられた心の力、意識の力、です。
使うか使わないかの選択は一人一人に委ねられています。
使うタイミングも。
その時が来たら使ってしまいましょう。思い切り自分を信頼して。