ブーゲンビリアの花が再生しました。
私はハイビスカスとかブーゲンビリアとかトロピカル・チックなお花が大好き。
今年はこの猛暑のため、ハイビスカスは不調でした。
毎年それなりの大きさの鉢を2~3種類買ってきて、そのいずれもが異なるカラーの花を順番に咲かせてくれて、というのが私流の楽しみ方です。
今年は咲いていない期間の方が長い。
こんなこともあるんだな、と。
大きなプランターに植えれば、その咲き方も違うのでしょうけど、我が家はマンションのため大規模修繕に備え、大きな鉢を置くことはあきらめています。
逆に言うと、毎年気分次第でさまざまな色を楽しめるようになっています。
さてブーゲンビリアの方はどうかというと。
以前それなりに大きめの鉢を買った時、それはそれは綺麗に咲いてくれたのですが、風に弱い。
風でお花が飛びまくってしまう。
これまたマンション生活のつらさで、外に飛んでくれる分には良いけれど両隣のお家に飛びまくっているのは申し訳なくて、あきらめることに。
15年ぶりくらいでしょうか、ブーゲンビリアを植えたのは。
今年のは品種改良タイプなのか、高さ15センチくらいのもの。
ガーデンタイプとでもいうのかしら。
これなら寄せ植えにできる、と喜んで買ってきました。
ペチュニアの花との寄せ植え、どんな感じかな、と思っていたら、あまりにもあっさりと花期の短いこと。
やっぱり品種改良版って結構むずかしいな。そんな風にあきらめていました。
2、3日前のことです。なんと、あのチビッちゃいブーゲンビリアにお花が咲いています。
次から次にとまではいかないけれどボチボチ、次のツボミも膨らみだして。
15センチくらいの苗だったのに30センチくらいに伸びているのにも感激。
そっか、こういうことなのね、と。
大昔、稲作文化が主流だった時代、稲には「稲魂」とか「穀霊」とか呼ばれるいわゆる「カミサマ」が宿っていたというように考えられていたんだとか。
今でもインドネシアなどにはこの文化が残っているそうです。
いわゆる「八百万の神」です。
森羅万象に霊が宿る、というあの考え方。
その自然霊と共に、「誕生」「成熟」「死・枯死」「再生」のサイクルを人々はすごく自然に受け容れていた。
日本の四季、春夏秋冬なども同じ流れですよね。
私たちは自然の中で自然と共に自然の一部として生きてきたのに、いつの間にか自然を支配するような考え方が出てきたり、一方、必要以上に自然を怖がったり。
そんな人間のアンバランスを知らせるために、我が家のブーゲンビリアはさっさと枯れてしまったのではないでしょうか。
もしその時点で私が「お花が咲かないブーゲンビリアなんて賞味期限終了ね」と思って捨てていたら、この素敵な再生劇には遭遇できなかった。
たまたまペチュニアと寄せ植えしていたからこその快挙なのかもしれません。
ペチュニアは夏のお花の中でもかなり丈夫なお花の一つ。
我が家のペチュニアも小さな苗だったのがこんもり、ボリューミーに咲き続けてくれています。
それと同じ鉢の隅っこで品種改良された、いわば人工的なブーゲンビリアがしっかりと再生の花を咲かせてくれて自然のサイクルの美しさを私に伝えてくれたのです。
花言葉を調べてみたら。
情熱。
あなたは魅力に満ちている。
熱心。
なんですって。
さらにあの鮮やかな花色から、人の気持ちを揺さぶり、高揚させる「魂の花」とも呼ばれているそう。
ウッ、思わず、ガッツ・ポーズ 笑。
花のサイズは3センチにも満たない、小さなブーゲンビリアです。花色は定番ともいうべき紫に近いピンク。
ああ、「魂の花」なんだ、だから大好きで仕方ないんだ。
さらに花言葉の情熱、熱心。これはまさしく私の性格を象徴しているかのようです。
で、あなたは魅力に満ちている ?
ふふ、あなたも、です、もちろん。
ここ数日、半端ではない体調不良に見舞われ、それがエネルギーの変化に伴うものだとはわかっていたけれど、
数日前はトコトンどん底な気分も見え隠れして、「もうヤダ~」と何回も涙を流していました。
再生の前の準備をしていたんですね、きっと、私の心身魂。
大丈夫だよ、絶対に再生するよ、ってブーゲンビリアにエールを贈られながら。
自然との共鳴生活。
私にはこれが一番気持ちいいな。
きょうも飛行機の飛行音がまぁるいのです。
カラスの鳴き声も優しいのです。
時々聞えるセミの声もまろやかなのです。
しばらくの間、ここに「イカリ」を下ろして人生の航路、少しだけ一休み ?
いえいえ、きっと私のことだからここでもまたまた何かを楽しもうとするはず。
私の魂は実はすごく欲張りなんじゃないか、とやっと最近気づけたばかり。
欲張りがいけないとか恥ずかしいとか、もうそんなことどうでも良くなっちゃいました。
私は私の道をトコトン楽しむために、この命をいただいているんですから。
私の中では季節はもう秋、なんです。
体感が秋、という感じ。
でももしかしたら成長の季節なのかな。
それとも収穫の秋なのかな。
あるいは、種まきの春だったりするのかしら。
私の人生のサイクルは断然自然流。
時々、あっち行ったり、こっち行ったりの道草もあるけれど、それが私にとっての自然なのかもしれませんから。