女性の血は「穢れ」

明日、満月ですね。

そして26日は天国在住愛猫・海・かい、こちら在住愛猫・海・うみの月誕生日です。

 

ダブルでのエネルギーのお陰なのか、必ずと言っていいほど毎月26日前に大きな手放しが起きます。

 

今月は「女性の血は穢れている」という、「信じられない」社会通念のようなものの手放しです。

 

ここ数日、私は10代、20代の頃の生理の状況がフラッシュバックしていました。

10代の頃は、毎月と言ってもいいくらい、生理前後に貧血を起こして倒れることもあって、そもそも私はあの赤い血がどうしても苦手で、よく「生理の血がブルーだったらいいのにな」と思っていました。

低血圧、貧血。

 

どうも血に対する大きな課題を抱えているようです。

今は貧血は改善していますが、未だに低血圧傾向で私は献血ができません。

正直人にあげるほどの血はないというか、薄いというか。

 

私は点滴が大の苦手。

血管が細くて、あまり上手な方でない場合、何度も針を突き刺さされなくてはならず、ものすごく痛みを感じた経験があるからです。

 

明日は満月だな。

そういえば生理って月経と書くよね、と意識が引っ張られ、調べてみることに。

 

なんと、世界には月経不浄視という価値観が定着しているんだとか。

聖書にもコーランにも「月経は不浄」と。

 

さらに仏教に至っては、産血も経血も「穢れ」とし、しいては母性そのもの、女性存在そのものを「穢れ」「不浄」とした時代があるとかで、ここまで行くとなんといっていいのやら、男性の女性蔑視、心理学的にとらえて言葉をかえれば「母性あるいは女性コンプレックス」の大きさに驚かされてしまうわけです。

 

その代表例ともいうのが「血盆経」というもので、女性は血の汚れた穢れの存在であるがために、血の池地獄に堕ちるという考えがあって、そのお経を写経したものだけが救われる、と。

 

さらに「産まず女地獄」というものも「熊野観心十界曼荼羅」に登場するらしく、文字通り子供の産めない女性、わけあって子供を産まない女性が堕ちる地獄も存在するということらしいのです。

 

つまり、女性として生まれたら最後、よほどの「信心 !」がないとみんな地獄行き、というものすごい教えが日本の仏教の中に息づいていた時代があった、ということです。

  

驚きませんか。私はびっくりしまくりです。

 

そもそも女性の穢れ思想などをまったく知らなかったわけではないけれど、地獄行きですか、女性に生まれただけで。

 

私は子宮腺筋症という、かなり厄介な病気を経験したことがあるのですが、その大元のエネルギーは女性性の否定であることがわかっています。

だから、生理の血はブルーがいいとか、貧血とか低血圧とか、その辺も関係しているんでしょうね。

 

ただし、明確にするのなら、血の穢れ意識でしょう、個人的というより、集合意識、集合想念であるところの。

血=地獄のイメージ。

血=不浄レベルではなく、=地獄。

 

なんだ、こういうことだったのか、と思う反面、当時の、というか古来の宗教家の方の意識には正直驚いてしまいます。

信仰のため、なんですね、すべてが。

 

 

宗教はデリケートなものですから、素人の私がそれを論じるつもりはありません。

 

ただ日本でもかなり最近まで「月経小屋」「産小屋」と呼ばれる文化があったそうです。月経期間とお産の時は、そこで女性だけで過ごすんだとか。言葉をかえると「穢れ小屋」があった。

 

ネパールではいまでもその風習は残っていて少女などはそこで命を落とすこともあるそうです。

 

にわか勉強ながらこれだけのことが一気にあふれ出してきました。

 

私なんて子供もいないから、地獄に堕ちてしまうのでしょうか。

血の海の地獄 ?

 

私のカウンセリングを受けてくださる方の中に、不妊治療をしたけれどお子さんを授かることができず、結果ものすごい自責の念を抱き続けているという方がたくさんいらっしゃるんです。

もしかしてその方たちの意識の奥底に、自分は地獄行きなんじゃないか、というものが深層心理として、無意識のうちにどこかで植え付けられてしまったのでしょうか。おばあちゃんとか、ひぃおばあちゃんとかの記憶の部分 ?

 

私は何となく聖職者、僧侶の過去生があるんじゃないかと感じているので、当時は「男性側」として女性の「不浄」「穢れ」意識をとらえていたのかもしれません。

 

となると、ある意味男女して、「女性は穢れている生き物だ」という社会通念を創り上げたことになりますね。

 

この辺のすべてを自分のこととして統合します。

 

良い悪いではなく、それがあたりまえだった国、時代がかなり多く存在していたという事実。そして今もその意識は人々の中に根付いているという事実。実際、そういう意識を持ち続けている人はまだまだいるという事実。それが文化として多くの人々に受け容れられているという事実。

 

おそらくそれは私の中にもある意識。

 

こういう意識が今のレイプ犯罪などにまったく無関係であるとは言えないはず。

 

そもそもの大元の意識をしっかりと受け容れることが、今の私に課せられた課題です。

 

こんなにヘビーなテーマが出てきてくれたのも、明日の満月に備えてでしょう。

 

ちなみに私のラッキー・アイテムは「満月」だと言われたことがあります。

 

「〇」、ですよね満月って。

 

女性蔑視や、穢れ意識。

 

排除だけでは解決しない。

 

絶対に統合してやる !

 

こういうことになると、やたら張り切る何者かが私の中に住んでいます。

 

使命感に燃えるのです、なぜか。

 

よっぽど過去生で嫌な役目を果たしたんでしょう、きっと。

 

私たちの中には女性性・男性性、共に存在します、その肉体がどうであれ。

 

その両者を統合して、より強固な力を産みだすことが私たちの創造力につながります。

 

どちらも同じだけ自分の中に存在する。

どちらも同じだけ力を持っている。

お互いに足りない力を支え合い、補い合うために。

どちらが欠けても「一」にはなりません。

元々一つだったものが便宜的に二つにわけられた。

 

そのために二つの性の意識が埋め込まれているのです。

大いなる一つと同調するために。

 

誰もが女性性・男性性を同じように尊重し合う力を携えています。

 

そのためには過去にあった、一見好ましくないと思える価値観にも居場所を作ってあげることが大切。

自分の中にもそういう意識があったんだと認め、受け容れることが大切。

 

宗教家の方の中にある無意識であるところの「深層心理」の部分も含めて、すべてを包括することが私たちにはできるのです。

 

さて、これはあくまでも心理学をベースにしたお話です。

どなたかの信仰心や価値観、生き方をジャッジするものではありません。

 

「自己統合」という、すごく個人的なレベルでの考え方です。

 

女性性・男性性としているのは、発達心理学によると、母性が先、なんだそうです。

私たちは生まれてまず「母性」を認識してその後に「父性」を認識する生き物なんだそうです。

 

母性が上、という意味ではなく、ただ、先、という意味です。

 

私自身がずっと女性性を否定してきた。

その根幹が視えた気がしてものすごく嬉しいです。

 

私は。

 

子供を産まないという選択が許される時代に生まれて本当に良かった。

 

多様性の時代ですものね、今は。

 

他の方がどう感じるかはわからないけれど今の私はそう感じる、とただそれだけ。

 

女性性も男性性も平等に愛おしむ、慈しむ。

 

どちらも大切な「自分自身」だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サイト内検索

お問い合わせ

メモ: * は入力必須項目です

ページTOPへ戻る