桜の木の紅葉が始まりました、なんてことでしょう。
今年は春の到来が早く、春の花が一斉に咲き乱れました。
その後、梅雨は案外短くてすぐに夏の到来。
猛暑続きかと思いきや、さらにすでに秋、なのです。
ご近所のイタリア・レストランに足を運んだら、もうテラスのガーデン・シクラメンが咲き始めたとのこと。
新しく植えたものではなく、毎年生き続けてくれているコだそうです。
レストランのマスターいわく、「もうブタ草ものびてますよね」
草の名前まではわからないけれど、確かに秋の草、雑草がのびまくっています。
あれのことかな ? ブタ草って。
光は完全に秋の光です。
こんなに暑いのに。
そっか、季節の融合・融和ね、と感じました。
地球と自然はすでに秋を体感している。
人間の体感はおそらくまだ夏。
どちらかというと自然の方が進んでいるのです、季節との共鳴能力、地球との共鳴能力。
私たち人間はともすれば人間が一番上、なんて思っているけれど、自然の方がよっぽど感度のいいセンサーを内蔵しているのではないでしょうか。
本当は私たち人間も自然の一部なのに。
このタイムラグこそ、人間の「エゴ」のあらわれなのかもしれないですよね。
このことから勝手に私が感じ取ったこと。
今こそ私たちは人間も地球の一部、自然の一部だということを思い出す時が来たのではないでしょうか。
私たちは自然を支配する立場の命ではありません。同時に自然に支配される立場の命でもありません。
自然と同化・同調して、自然の仲間たちと共に支え合い生きていく、命の循環システムのメンバーの一人、一部なのです。
もしも心身に不具合が生じたら、その時は外からの文字情報に頼るのではなく、自然の中で思い切り深呼吸をしたり、自然と肩を寄せ合いお散歩したり。
そんな、誰にでもすぐできる「癒し」の方法があることを思い出しませんか。
動物君と暮らしている場合は、その辺の感覚、すぐに感じ取れるんじゃないでしょうか。
動物君がいなくても、お部屋に切り花一本あれば自然と寄り添うことはできるはず。
お花を買わなくたって道端のお花や雑草に目を向けるだけで命の喜びを思い出すことができるはずです。
雑草なら都会の真ん中でも見ることができますよね、寄り添うことができるはず。
自分を癒すのに特別な道具は必要ありません。
もちろん道具が好きな場合はそれはそれでよいと思うけれど、私たちすべての命に降り注ぐ、この光、全然特別なんかじゃなくて、みんなに公平に降り注いでくれています。
普通の中にこそ宝は眠っている。
私たちはみんな普通に生きられるように創られている。
異常気象と「異常」ばかりがクローズアップされているけれど、その異常が普通になっているのなら、それは異常とは言わないのではないでしょうか。
「異常」といった方が人間の心に何かを訴求しやすいから。
かもしれません。
季節の融合・融和。
自然もまた錬金術を使っているのです。そこには必ず、と言えるほど新たなエネルギーの創出が生まれています。
新たな何かが創造されているのです、この地球上で。
きょうは朝から「1111」と「1」続き。さらに「17」続き。
数霊という考え方とエンジェル・ナンバーという両方の考え方をミックスしてみても、嬉しい情報ばかり。
さらに当エッセイを執筆するそのスタート時間は「1333」。
エンジェル・ナンバーを楽しむ趣味は個人的に卒業したけれど、う~ん、数霊の情報とミックスするというのも一つの融合・融和なのかかもしれません。
ここにもまた一つ創造の喜び、です。
実は昨日の夜からまた熱が出て朝はかなりしんどかったのですが、エネルギーがそれだけ変わっている、というサインなのかな、と。
吉報ですね、停滞ではなく循環。