対立し合う二つのもの、その価値観の結合・和合。
私がこの感覚に気づいたのは今から約2年前のこと。
それまで私のカウンセリングはどちらかというと、スピリチュアル優位。
つまり、できるだけポジティブに、が基本でした。
もちろんなんでもかんでもポジティブが良いという意味ではなく、けれど心が軽くなる方向への「解放」が私の意識のベースにありました。
ところが2年前。
私自身が「愛着障害」であるという事実に気づいたのです。
「愛着障害」とは簡単に言ってしまうと、両親、特に母から十分な「自尊感情」を感じさせてもらうことができず、自己否定の感情を強くもったまま成人してしまう状態のこと、またそこからあらわれる人間関係の難しさなどを含んだ意味の言葉です。
まず私は自尊感情が低いとは思っていなかったこと。
これまでもちろん悩みはたくさんあったけれど、まぁまぁ普通に生きてこれた、と自分のことを感じていたことに気づきました。
けれどそれは真実ではなく、私の一つの現実逃避らしいことが浮き彫りになりました。
そこで「愛着障害」について調べていくと、どうやら私は真実から目をそらし、自分にとって心地よいという側面ばかりをみていたらしいということがわかり、愕然とします。
徹底的に自分に向き合う。
そう心に決めたところ、出てきたのが、その、対立するだろう二つの価値観の統合作業をしなくてはならないという事実でした。
例えば
◎ 光と影
◎ 天使と悪魔
◎ 男性性と女性性
◎ 陰と陽
などなどです。わかりやすく言うと、それまでの私は「光」だけにフォーカスし、「天使」だけにフォーカスし、「陽」だけにフォーカスするような心の癖がついていました。
が、すべてのことは「表裏一体」、また「山と谷」の法則にも気づきました。
影がなければ光は存在しないし、悪魔がいなければ天使も存在しない、陰がなければ陽も存在しない。
また山が大きければ谷も大きいという、エネルギーの法則。
さらに例えば「影」を手放すためには、まず「闇」を感じ、受け容れることが必要だということもわかりました。
手放したい意識のエネルギーに居場所を創るのです、そこにいていいよ、と。納得してもらうのです、その意識に。
そこで自分自身の性格や意識に相当するもの、一つ一つ統合する、という作業を続けてきました。
極端な話、自分は優しい人間だと思っていたとして、けれど自分にはそれと同じだけ冷酷な人間でもある、というように最低、最悪と感じるかもしれない自分を認めていかなければならないわけで、とても苦しい作業となりました。
今まで見たくなかったからこそフタをしていた汚れ物を一つ一つ取り出して、「これは私」「あれも私」と認識していかなければならないのですから。
なんでこんなことをしているのだろうと今年の頭に調べてみたら、心理学者・ユングの「心理学と錬金術」という話の中にこの答えが隠されていたことがわかりました。
私はカウンセリング時に心理学のノウハウを取れ入れていましたが、特にユングについて学んだことはなく、けれどどうみても彼の言わんとすることを自分自身のケアの中で実践させられていたことに気づき、驚いてしまいました。
そういえば、と調べてみると、私のカウンセリングは様々な箇所でユング理論を取り入れていた事実がわかってきました。
「対立し合うものの結合・和合」に気づいたのは2年前ですが、その前のカウンセリングにおいても、ユングの考え方がところどころで出てきていたのです。
ちなみに私は心理学は専門的に学んでいません。それでもカウンセリングはできました。
そもそもカウンセリングは私の顕在意識ではなく潜在意識からのサインによって始めたものです。
今思うとですが、その偶然に大いに驚かされます。
ユングについては「オカルト」色が強いということから、キワモノのようにとらえている方もあるようです。そもそも「オカルト」は「ウソっぽい」としているところに、その方の深層心理が隠されているように感じるのは私だけでしょうか。
それもヨシ。
私の感じ方もヨシ。
どちらもヨシ、ですけれど。
さて、ユング理論の「対立し合うものの結合・和合」はいったんその秘訣が身についてしまうと、面白いくらいにそのチャンスが巡ってきます。
私の、この「ひかりのしずく」シリーズのエッセイのかなりのものが、この「対立し合うものの結合・和合」作業による自己治療、あるいは自己セラピーであることがおわかりいただけるかもしれません。
私たちには根本のところで善悪二元論という概念が根付いています。
どちらが良い、どちらが悪い、そして両者は別物という概念です。
けれどそれは分離の発想です。
それを突き詰めている限り、どこまで行っても「一元論」にはたどり着きません。
二極の世界のままなのです。
それを一元化していくための作業、そのヒントがユングの唱える「対立し合うものの結合・和合」にあると、私の場合はそう思えました。
ただしユング理論に傾注しすぎることはある意味リスクを伴います。リスクのない「絶対」は私はこの世には存在しないと思っています。どんなに良いと思えるものでも使い方次第では「毒」になると。
だからこそ、すべて包括的に。
そのステップとして、今のこの段階を踏んでいるのかもしれません。
なぜこのお話をするのでしょうか。
それはこの方法によって私の「愛着障害」はかなり改善し、自己否定が自己肯定に変わり自尊感情が育まれていることを自分自身で確信することができているからです。
愛の飢餓意識、愛の欠乏感はどなたの中にもある感情です。
それを自分自身の気づきで改善できることが私のセルフ・セラピーで明らかになりつつあります。
この方法のメリットは、特別なツールを必要とせず、自分の意識だけで進めること。
デメリットは、時間がかかること、おそらくこの作業は半永久的に続くこと。見たくなかった自分を掘り起こすので気持ちいいだけではすまないこと。結果的に気持ちよくなるけれどそのプロセスはつらい時もあります。
が、何より自分自身に向き合えること、自分を大切にできること、自己愛を育むことが可能などなど、自分自身の真ん中を太く強くできるという意味で、私にとっては今これ以上のベストは見つかりません。
きょう浮かんできたテーマは「錬金術と呪術・魔術の結合・和合」です。
錬金術は科学&化学的。
呪術・魔術とはまったく逆の世界です。
呪術・魔術の線引きも難しいところ。本来これをひとくくりにできる言葉があるのかもしれませんが、今の私にはこれ以上の表現は無理です。
さて、錬金術はどちらかというと左脳優位、男性性優位の世界。
呪術はどちらかというと右脳優位、女性性優位の世界。
これを結合・和合するということは、左脳・右脳の融合・融和につながり、男性性・女性性の融合・融和にもつながるということではないでしょうか。
これらは一般的には対立するとされる価値観。
けれど本当はすべて一つだったのですから、共に手と手を取り合い、新たな何かを生み出すことができるはずですよね。
そしてこれらの要素はすべての人の中に存在しているということです。その認識があろうとなかろうと。
この世界はすべて私たち一人ひとりの意識が浮き彫りになっているもの。その一つ一つを認め、受け容れることでこの世界は丸くなっていくはず。
他者と自分を分離しない。
外と内を分離しない。
一つのものと視る。
難しいテーマです、実のところ 苦笑。
でもトライする価値はありそうです。
と二者の結合を意識していたら。
外なる世界の錬金術とハートの錬金術という言葉が浮かびあがってきました。
内と外の融合、融和、でしょうか。
さてさてどこに、どのような形でおさまるのか、かなり楽しみです。
何かが私の中で変わり始めているのを感じます、少しずつ少しずつ。