今朝耳にした哀しいニュース。
それはサイパンへの直行便がなくなってしまっていたという事実。
サイパンは私にとっては故郷のようなところ。
社会人になってはじめて行った海外がサイパンだった。
初の海外旅行。そこで出逢った一人の男性に恋をし、以来結婚前までの数年間、私は仕事をしてお金がたまるとサイパンに飛ぶ、という生活を繰り返していた。
楽しかった。日々の仕事のウサはほとんど気にならなかった。なぜなら、私には「サイパン」という目標がいつも一緒にいてくれたから。
それでもその恋は実らず。
哀しい現実。人生初とも言えるくらいの大ダメージを負った。
あの青い海、青い空。
ボキャブラリーの乏しい表現しかできないけれど、私には特別すぎる島、サイパン。
初めてのサイパン旅行。
その男性は元カレの友人で、私と友達を車に乗せてサイパン中を連れまわってくれた。
元カレは当時まだ私に未練があったらしく、自分にとってはかけがえのない存在だから大切に扱ってほしいとその人に依頼していた様子だ。
はじめてのシュノーケリング。
はじめてのサザエとり。
はじめてのホビーキャット。
はじめて水上スキー。
はじめてのホームパーティ。
何もかもはじめてずくめ。
あんなにも綺麗な夕陽ははじめてだったし、ビーチの綺麗さもはじめて。
海の中のサンゴも熱帯魚もただた綺麗だった。
その彼は夜はフィリピーナーのいる、ファイアーダンスの観られるパブに連れて行ってくれた。
確か、記憶では村上龍の小説にそんなシーンが出てくる。
そう言えばジープの荷台に乗ったのもはじめて。
満天の星にびっくりしたのもはじめて。
こんなにも素敵なはじめてがあの小さな島にギュッとつまっていた。
あの時、友達とちょっとしたことでケンカになって私は一人でテニアン島に飛んだ。
なぜか日本からの慰霊団と一緒に行動をとらせられることになり、そう、B29が旅立ったという空港にも連れていかれた。
考えてみれば不思議な旅だった。
戦争にまったく関心のない私がセスナに乗ってテニアンを行き来、そのおじいちゃんパイロットは私にボロボロのセスナのハンドルを握らせてくれた。自分もそのセスナも米軍のおさがりだと言っていた。
まん丸の虹がセスナの下に見えた。人生初の出来事。
こう書いているだけで、宝もののような数日間だったことを思い出す。
けれどその後のサイパン行は哀しい想い出の積み重ね。
なぜこんなにも冷たくされるのか、まったく意味が分からず。
それでもまた「今後こそは逢ってくれる」と信じて結局、毎回肩透かしだった。
そんな切ない想い出に彩られたサイパンなのに、行くたびに新たな感動があって、直近では三年くらい前、未曽有の台風の被害を受けたというサイパンに主人と足を運んだ。
台風の爪痕は劇的だった。
けれどそれでもサイパンが好きという気持ちに変わりはなかった。
島の人も「こんな時にきてくれて本当にうれしい」と涙を流さんばかりの大歓迎ぶりだった。
もちろん私はサイパンの波の音と風に包まれ、大満足だった。
あの、サイパンにダイレクトにいけない ?
あり得ない、あり得ない。
私のふるさと、青春はなくなった、終わったんだと感じた。
その時ふと浮かんできたのがユーミンの『Destiny』。
最近導かれるかように「YouTube」でこの曲を聴きまくっていたのはこのせいだったのか。
この曲の中にあるのです、
「冷たくされていつかは見返すつもりだった」
「きょうわかった また逢う日が 生きがいの悲しいDestiny」
「きょうわかった 空しいこと 結ばれぬ 悲しいDestiny」
私は女性特有といえるような情念のようなものとは無縁の人間だと思っていました。
割と男性チックでサバサバしている方。
過去にとらわれるなんてとんでもない、と。
違ったんですね。
おそらく私は冷たくされたその人を見返してやろうとずっと思っていた。
その機会を狙ってサイパンに飛んでいた。
当時のつらい想い、楽しい想いのすべてをサイパンに投影しながら。
再びその人に逢うことだけを生きがいにして。
遠い、あの日のまま。
ただし現実にはその人の居場所さえ分からなくなっていたけれど。
そう、もちろんサバサバな私も私。
けれどそのサバサバと同じぐらいのドロドロ、ネトネトの感情が私の中に渦巻いていた。
一生懸命視ないふり、感じないふりをし続けてきたはずのそれらの想いにはじめて命が宿った。
生と負の法則。
光と闇の法則。
山と谷の法則。
綺麗な感情の裏には必ず相反するネガティブな感情が存在する。
それが私たち人間のさだめなのだと思い知らされた気分です。
なるほど、サイパン直行便運休のニュースはもうサイパンへつながる必要はなくなったよ、執着は必要なくなったよ、というメッセージだったのかもしれませんね。
過去に生きることも未来に生きることもなく、ただ、「いま」。
まさかね、のビッグ・サプライズがだったようです。
同時に私は戦争にかかわる集合想念のいくつかを統合するチャンスをもらったようです。
このことについては次のエッセイでお話したいと思います。
サイパン、さようなら、ありがとう。
また何かの時に行くと思う。
けれどその時は心の底からあなたに、あなただけに逢いに行くわ。
過去の私に、ではなく、今の私に逢いに。今の私のハートで。
海と空しかない島、何もない島、サイパン。
何もないからこそ、すべてが視えてくるのだと、すべてを感じられるのだと信じて。
そっか。
夏になるとさまざまなアクシデントが起きていたのは、あの時の想い、私の中の情念のせいだったのかもしれません。
夏は苦しい季節との重い、想い。