涙、涙の一日です。
きょうも朝から軟便傾向。
きのうに続き、心身のデトックスサインです。
さて、きょうはスイッチが入ってしまい、朝から大泣き。
そのきっかけはユーチューブ。
青春時代の思い出ともいえる曲に遭遇し、それを観始めた途端、涙腺が崩壊したもよう。
私は元々あまり泣かないタイプの人間で、正確にはあまり「泣けない」タイプ。
じっと我慢してしまう方だから。
ところがきょうは出るわ、出るわ。
ああ、私は何をこんなに我慢していたんだろう。
甘酸っぱいはずの青春の思い出は実はもっともっと根深くてシビアでした。
そして出てきた感情、それは「役立たず、不要品」というものでした。
実は先日、カウンセリング・セッションをさせてもらっている時に、なぜだか急に納豆のにおいがしてきて、同時に「私は生ごみとして腐りながら生きていく」という感情が浮かんできていました。納豆のにおいは完全に「比喩」「暗喩」。
クライアントさまの感情なのか集合意識なのか、それとも私自身の感情なのか。
いずれにしても感じないことには始まらない。重いドヨンとしたエネルギーを感じつくす。
そんな体験をしていました。
もしかしたらその流れなのかもしれません、きょうの「役立たず、不要品」という感情は。
解説するまでもなく、私は、おそらく「私は」、自分を役立たずの不要品だと感じて今まで生きてきたみたいです。
無意識の部分、深層心理の部分です。
もしかしたら何かの集団意識につながった可能性もあります。
いずれにしても淋しい、切ない感情です。
役立たずの不要品だから、できるだけ人に嫌われないように我慢し続けてきた、頑張り続けてきた。
自分の姿が見えないように、つまりあまり目ただないようにひっそりと身を隠すように生きてきた。
どうせ役立たずだから。
生きていては誰かの邪魔になるから。
そんな感情が次から次に浮かんできて、「まさか」の想いと「よく頑張ってきたね」の想いと何が何だかわからない状態で涙を流し続けていました。
心理学的には涙を流すことは「カタルシス効果」があるといわれ、感情そのものの浄化につながると、できれば定期的に「涙活」をするとよいとまで言われているようです。
そういえばまだ瞑想とかヒーリングとかに接していない時、私は大好きなアーティストの曲を聴いては涙を流すことがありました。
きちんと意味のあった行為なのですね、驚きです。
ただ、そのアーティストの曲にハートが響かなくなってきてしまって、最近は積極的涙活はしてませんでした。
きょうは突然です、サプライズかもしれませんね。
「役立たず、不要品」という感情は想像より遥かに重くて、シビアで、感じながらも「なんなんだよ~~」状態に入っていましたが、内なる自分に「よく頑張ったね」「偉かったね」「大変だったね」「でもそれもあなたが選んだシナリオだから」と話しかけているうちに、気持ちがすぅっとしてきました。
これぞ「カタルシス効果」なのでしょう、スッキリです。
私の青春時代。
それなりに派手目で、それなりに楽しい想い出がたくさんありました。
けれど確かに切ない失恋も体験していました。
きょう出てきたのはその後者がらみの感情だったのかもしれません。
私たちは悲しい思い、つらい思いをしたとき、必ずかなりのストレスを感じているんだとか。
けれどそこで無理やり「これも良い体験よね」とか「これも成長の糧よね」とか思ったりすることで、その時のストレスホルモンもその感情そのものも、潜在意識の奥深くにしまいこんでしまうそうです。
つまり、理性が働くことで本当の自分を抑えこんでしまう。
人間ならではの得意技のようです。
けれどそれが結果的に自分自身への攻撃につながる。
その思いを何回も何回もリフレインさせるような体験を引き寄せてしまうんですから。
まさか、自分が自分のことを「役立たず、不要品」と感じていたなんて、なんて潜在意識は切ないんだと感じる一方、自分の想いに気づいてあげられなかった自分にも驚きまくり、というのが本当の気持ち。
こんな感情はまだまだ私の中に眠っているんでしょう。
感じてあげなきゃ、居場所を作ってあげなきゃ、すべて私の一部だから。
そう、集合意識だとしても私の中に存在しているエネルギーなのです。
さらにこの感じは実はエンドレスに続くものだということにも気づきました。
セラピーの現場などでは「インナー・チャイルドを癒せばその感情はなくなる」とされていることも多いようですが、私は一生続くと思っています。
なぜならそれが肉体がある、ということだから。
もちろん少しずつ何かが軽くなることはあるかもしれません。
けれどネガティブな感情がゼロになることはあり得ないですし、また同じように「役立たず、不要品」という意味合いの感情だとしても、ちょっと異なる側面のエネルギーが出てくる場合もあります。
感情を100%コントロールできる人など存在しないのです。
一つ一つ、毎回毎回、地道に真摯に向き合っていくしかありません。
そのコツさえ覚えてしまえば、「一生」と言われてもそれほど大変なことにはならないはず。
逃げない、追い出さない。
自分の中から浮かんできた感情はどんなものでも。
大切に愛おしむ、抱きしめる。ただただ感じる。「あなたは生きているのね」と。
感情に命の灯をともしてあげるのです。消し去るのではなく。