パソコンの故障、スマホの故障、さらに家電製品の故障。
一般的にこれらは、自分のエネルギーが大きく変わっている時に起きる現象だといわれています。
つまり、それまで波長のあっていた自分のパートナーとの関係が変わってしまったことの現象化。
前エッセイでお話した通り、故障したパソコンは購入1年半にしてなんだか様子がおかしくなっていたので、うすうす私のエネルギーの変化がいつもより大きい時なのかもしれないなと感じていました。
去年の秋口から、なぜか大々的に「自己流断捨離」の動きが続いていましたし、大好きだった太極拳の先生が突然倒れてしまったり。またマカオ旅行に行ったときに4日間で7万歩も歩いて、東西の融合、新旧の融和と、スケールの大きい何かを感じさせてもらっていた、という事実がありました。
さらに今年の4月には以前仲の良かった友人の突然死、そして義父の旅立ちと、目には見えない何者かの大きな動きも感じていました。
実をいうと、去年の秋ぐらいから季節の変化の異様なスピードを感じていて、地球全体のエネルギーの変化も強く感じていたのです。春が早かった、そして夏の到来も。
「何か変だ」という気持ちがいよいよとなったのがこの7月のことです。
世界的な熱波、断続的な雨。日本国内では政治情勢も不安定だし、過去の清算のような意味合いの動きがかなり極端にあらわれはじめています。
個人的には2週間ほど夏風邪のような状態が続き、一方パワーヨガのレッスンで腰を痛め、すぐに良くなったものの、時々何かの拍子で腰がキュッと痛む感覚を味わっていました。
また食事をすると身体が重くなって特にランチの後、起きていられないほどの体感があって数時間は身体を横にしないとつらいとか、その影響で今度は夜眠れなくなってしまって、この暑さもあってバテバテな感じが一か月も続いていたのです。
しかも常に鼻声状態。先日はリンパのはれも認識しました。
一般的に考えればただの暑さ負け。
が寝込むほどでもない、このくらいの体調不良が一か月も続くなんて、絶対変、と感じていました。
それに合わせるかのようにパソコンの動きもおかしくなってきていたので、「あ、これは壊れるかな」とかなり強く感じていました。
それを決定づけたのが一昨日、目が覚める前。
珍しく天国在住の愛猫・海・かいが話しかけてきました。
海・かいは天国に還って今年で七年目。
初めのころは何かの拍子にポンポンと話しかけてくれていたのですが、最近は気配は感じさせてくれても意識の中にメッセージを送ってくることは少なくなっていました。
おそらく海・かい自身のエネルギーが旅立ち時のエネルギーとは変わってしまい、私がそれをキャッチすることができにくくなっているのではないかと感じていました。
それでも海・かいがそばにいる、何となくの感覚は感じられていたので、ま、いっか、と思いながら。
その海・かいがはっきりと意識の中に飛び込んできました。
「ママ、わかってる ? 僕はママ自身、ママの一部なんだ。ママがこちらの世界で向き合わなければならない課題をクリアするために、僕はママと分離して僕の肉体を持ってこちらの世に存在した。ママとであって一緒に課題をクリアするためだよ。本当はママは一人でそれに向き合うこともできたんだけど、ママの場合は僕という別個の存在を外に作り出すことで、より現実を明確に浮き出す方法を選んだんだ。元々僕はママの中にあったエネルギーなんだよ。ママの一部、ママそのものなんだ。でも別個の肉体として分離させたほうがいろいろなことがさらに分かりやすくなるよね。そのことの意味、今のママならわかるんじゃないかな」
ちなみに現在、海・かいは「にゃんこさま」でも「僕」でもないただの光の存在です。ただし私に海・かいだと識別させるために「にゃんこさまとしての僕」を意識的に強調してメッセージを送ってきます。
ん~、なんなんだ、このダイナミックな感覚は。
けれどその瞬間私はわかっていました。
私のエネルギーに大きな変化が現れた。そして多分パソコンは壊れるだろう、と。
この手のお話は主人には通じません。そしてもしかしたら多くの方にも。
ただ私は暑さに負けている。
ただパソコンは壊れてしまった。
この因果関係を理解してもらうのは至難の業なんでしょうね。「エビデンスは ? 」とか言われたりして。
「エビデンスは」ないです。
ただし私の中では確信に近い感覚となっていることのあらわれが、新しいパソコンに向き合う私の気持ちが大きく変わっていること、ものすごく軽いのです、心が。
しかも壊れてまる二日のうちに、ほぼ完ぺきに近い形で新たな旅が始まっているということ。言葉を変えるとこんなにスムーズにタイミングよくことが運ぶなんて、「何か」が関与していなければあり得ないのではないかと感じるのです。金銭的負担も最低限で済みました。
何より新しいパソコンの「馴染み」が気持ちいい。
肌に感じる風さえ光さえ二日前とは異なります。身体も軽いのです。確かに。
大きな大きなフレームの中で、何かが計画通りに進んでいる。その感覚が強く強く伝わってきます。
海・かいの話は私と海・かいの関係に限定したものなのか、すべてのペット君と飼い主さんの間に言えることなのか、今はまだ断言はできません。
けれど何より、それは、それこそ大いなる存在と人間の関係なのではないかと。
「カミ」と呼ばれる存在は様々な体験を楽しみたくて私たち人間を創り出したと聞いたことがあります。
日本人流にいうのなら、すべての命は「わけみたま」、つまり「カミ」あるいは「大いなる創造主」の分身、分霊であるということ。
私たちの中には「カミ」と同じだけの力がすべて備わっていて、私たち一人一人の体験・体感を「カミ」は味わい尽くしている、満喫しきっている、堪能しきっている。そう、私たちは「大いなる存在」の細胞そのもの。
けれど「カミ」の中に包括されるもの、そして私たちのようにこの世にやってきて肉体をもって、一見分離状態にあるものとに分かれていて、けれどその実は大いなる一つ。つまりはワンネスそのものなのだ、ということなのかもしれませんよね。
海・かいは天国に還ったそのあとに、とうとうとワンネスの話を私に聞かせてくれた存在です。
まるで「マスター」のように。
当時の私は海・かいの話に集中するのが精一杯で、まったく「ワンネス」は理解できていませんでした。頭での理解はできても腑に落ちる状態ではなかった。正直未知の世界。
あの時の海・かいの話のほうが複雑です。
けれど今回の海・かいの話はいろいろと含みがあって、「それはこういうことだよね」と私が言葉に返せないほどのとびっきりの真実が含まれているような気がするほどなのです。
海・かいの旅立ちから7年目の今年。
私に「ビッグ・サプライズ」が届いても不思議はありません。
その第一歩が、この一連の「故障 = 崩壊」そして「リ・スタート = 再生・創造」の流れなのではないでしょうか。
壊れなければ新たな命も生まれない。
これがこの世の常、ならい。
当エッセイ執筆中にまたも記事内容が飛びました。
これは前のパソコンとの時と同じ現象。
つまり、パソコンの不具合による「記事消滅」ではなく、何者かが関与しての「Yes ! その通り」の祝福のサインだということがここで明確になったような気がします。
そしていったん「消す」ことによって、次に見えてくる真実をより明確に照らそうとしているのではないでしょうか。
たかがパソコン。されどパソコン。
パソコンとの距離感にも私たちの人生の流れが投影されているようです。
「消耗品の単なる故障」では片づけられない奥深い現実がここにはある、ということなのでしょう。
そしてこれは「今」私に起きている真実ですが、私だけの、とはどうしても思えません。
意識が拡がっている。
何かの扉が開き始めている。
その中で遠巻きに自分を眺めているもう一人の自分を感じる。
大げさな何かではないけれど、確実な何かの「変化」。
地球的レベルの ? かもしれませんよね。
明日から8月。
なのに光が7月の終わり、8月の頭のそれではないのです。
何が始まるんでしょう、この地球の大いなる計画の中で。共に前進の旅、ですね、きっと。