※ 当記事は2018/7/12に執筆しました。アップは翌7/13です。13日の金曜日です。
不吉とされる「13日の金曜日」、実は何も根拠がなく、というよりむしろ「13」という数字
はとてもパワーの強い数字なんだとか。
その数字パワーを使わせないために、誰かが「13」はとても不吉なものとして世に知らしめ
たという説もあるくらい。
ことの真偽はわかりません。私は良いように解釈しています。
少し前のタイの少年たち、確か「13」の数字をどこかに書いていましたよね。
奇跡とも言える状態で彼らは救出されました。
さて、「13」にはどんな意味が託されているのでしょう。
今朝、私の身体に一瞬にして「癒し」のエネルギーが流れました。
「癒し」ということは「バランス」のとれた状態だということ。
分離から統合、融合、融和のエネルギーに変換された可能性を感じました。
分離意識を植え付けていたのは誰なのでしょう。
統合意識はどこに存在するのでしょう。
統合、融合、融和。
数年前にベトナム旅行をした時に受け取ったメッセージです。
ベトナム戦争の拠点とされる「地域」を超えてすぐのことでした。
そのメッセージを伝えて来たのは天国在住・愛猫・海・かい。
その真意が明らかになるのは ?
さて、以下本題に入ります。
身体の冷え、下痢、夏風邪、すべてほぼ治癒状態にたどり着きました。
さきほど西日本に対してのヒーリングを行ったところ、体感が変わりました。
尿道付近に強い感覚。
さらに身体の真ん中を強いエネルギーが下から上へと上がっていきます。
私自身の個人的感覚ですのでその点、ご了承ください。
尿管はまさに「水」と関係あります。
西日本の豪雨はピークを超えてそれらに関連するエネルギーは日本列島を確実に北上していった様子です。
エネルギー的には。の但し書きが付きます。
まもなくバランスに傾いてくれるのではないでしょうか、人々の感情体も。
引き続き、折りをみながら瞑想とヒーリングをさせていただきます。
さてさて。
2017/09/08。
当エッセイで『準備万端 !』 というお話をしました。
以来「ひかりのしずく」シリーズとして浮かんで来たこと、感じたことを書き記してきました。
時に日に三回も書かされて、どなたか知らないけれど張り切っているな、と内心微笑みながら、けれど心のどこかで面倒くさいなとも感じながら、10か月にわたって心に浮かぶことをツラツラと書き続けてきたのです。
その中で感じたこと。
書く。するとどなたかの関与が加わる。
これは瞬時に感じました。
スピリチュアル的に言われるチャネリングの状態に限りなく近いものだと思います。
私に限ったことではなく、どなたでも同じ現象が起きているのだろうとそう感じていました。
おそらくその方の一番得意な行為、例えばおしゃべりが得意な方はおしゃべりをする時に、絵を描くことや音楽、あるいはスポーツの得意な方は、それらをする時に、家事が得意な方は家事をする時に、何らかの存在が必ず関与しているのだろうという感覚です。
直感ともまた異なる、微細な何か、けれど確固たる何か。
私の場合、カウンセリングをしている時もヒーリングをしている時もアニマル・コミュニケーションをしている時も実は同じ感覚を味わいます。
一方家事は大苦手 笑 なのであまりそういう感覚になったことはありません。
これが「個性」の真実の意味なのではないでしょうか。
私たちには得意、不得意項目が必ず備わっています。
「私は得意なことないんですよ」と感じる場合でも。
その方は逆になんでもおしなべてできてしまうのでとりたてて「得意項目」の認識がないだけかもしれません。
あるいはあまりにも自然過ぎて得意・不得意を感じる間もないとか。
例えば自然との共鳴が大得意なんだけれど、小さい時からそれが当たり前だったので、特に意識する必要もなかったとか、のようなケースもあるかもしれませんね。
私の場合は、元々がアップ・ダウンの大きいタイプの性格です。
ですから得意・不得意はかなり明確にわかれます。
さらに「これは得意であって欲しい」「これは不得意であって欲しい」と潜在意識のどこかで選別している可能性も考えられなくはありません。
つまり私の魂は「二極化」の存在を明確に認識するというお役目があるものなのかもしれないのです。
「二極化」を知るからこそ「一元化」を知ることができる。
元々「一元的」感覚に優れた方は、私よりアップ・ダウンの大きさが極端に少ない方なのかもしれません。そうすると「得意・不得意、あまりわからないです」となるのではないでしょうか。けれどそれは「一元的感覚に優れている」という得意ポジションに気づかさせるための何かのお試しなのかもしれません。
そんな風に私たちはそれぞれ異なる「個性」を授かってこの世に生まれています。
それに優劣はない、というのは歴然とした事実、真実です。
ところが、それに優劣をつけてしまうタイプがいる、というのも歴然とした事実・真実です。
この、二極化の世界の「判断グセ」、いわゆるジャッジなんですが、ジャッジ癖は手放すのがとても難しい。
それが人間の人間たるゆえんです。
あちらの世界の、私たちの目には視えない存在、その世界には、この二極化の概念が存在しない、
「大いなる」世界なんだとか。
その「大いなる」世界のどなたかが、私たちの個性を無条件にサポートしてくれている。
どうやらそれが私たちの才能と呼ばれる力になっているようです。
才能とは「タレント」とも言われる言葉で、私たちは自分のその才能に見合った「報酬」を授かるようにできているんだとか。
その「報酬」がもしかしたら金銭的なモノだけではなく、人からの信頼だったり、名声だったり、
社会的評価だったりも含まれているのかもしれませんね。
何よりその人自身の「やりがい」とか「達成感」とか、それ自体を自己実現と呼ぶのかもしれません。
自分が自分であることを体感するために、自分の命の証をこの地球に証明するために、あちらの世界のどなたかが全身全霊で力を貸してくださっているのではないでしょうか。
するとそれは広い意味での「使命」であり、存在意義であるのかもしれません。
魂が最高の煌きを発するその瞬間。
自分はなぜこの地球に生きているのだろう。
自分の人生の意味は何なんだろう。
実はこれを考え出すとたいていドツボにはまります。
同じところをグルグルと回って、結局答えは見つからずじまい。
疲れます、ぐったり、疲労困憊です。
でもその体感こそが私たちの人生の意味であり、意義なのではないでしょうか。
そもそも私たちは疲れるために、宝探しを続けるために、この地球にうまれおちてきたのかもしれませんから。
けれどそのパートナーが必ずいる。
自分では気が付いていなくても必ず何ものかがいつもついてくれている。
時にその存在を想い出せなかったり、その存在がうっとおしくなったり。
それも全部ひっくるめてその「大いなる存在」は全身全霊で包み込んでくれている。
そんな気がしてならないのです。
私の人生はどうやらこちらの世界に来る前に、あちらで「カミ」とされる存在とさまざまな言葉を交わしてストーリーを創って来たらしい。
こちらの世界に来てすっかりその全容を忘れてしまっているけれど。
ということは私たちの一挙手一投足、息使い、生命活動のすべてがシナリオ通りで、何も失敗はなく、何も罪悪感を感じることもなく、ただただ絶対体験としてこの心身魂で感じればいいのではないかとここのところ、その辺が私の中の決定打として浮かび上がりつつあります。
もちろんこれが「固定」の価値観ではありませんけれど。
さらに言うと、私が胸に抱いて来た「ストーリー」はおそらく「カミ」レベルの視点のものであって、つまり地球レベル、時に宇宙レベルでの展開が含まれているもので、それを人間レベルでの私が「良い」「悪い」「正しい」「間違い」と仮に識別することはあっても、それに対して自分を卑下したり、攻撃したり、反省させたり、そんな必要はないのかな、と感じ始めています。
私たちはあまりにも自分自身を「ジャッジ」してきたのではないでしょうか。
やっと少しだけ「ジャッジぐせ」の手放しが私の中で実現しはじめて来たようなのです。でもおそらくそれが「ゼロ」になることはないでしょう。
その時は天国に還る時、というシナリオのはずですから。
いずれにしても第二弾としての『準備万端 ! 』のサインは二週間くらい前に浮かび上がって来ていました。
ところがその後、気圧の変動を感じ、それに伴い体調も崩れてしまい、さらに西日本での豪雨被害なども重なって、心身共にかなりの「疲労」状態が続いていました。
これは私にとっての波動調整の大波だ、と感じていました。
不思議なものでそういう時に主人の出張が頻繁になったり。
その辺もすべて「お見通し」の存在がすべてをわかってサポートしてくれていたようです。
きのうの朝、パソコンが突然壊れました。
私の場合、波動調整時には必ずといってパソコンに不具合が出ます。
故障となると、現実的に痛いっ !
それでももう何度もそんなことを体験しているので、昨日の朝は案外冷静でした。
もしかしてパソコンに内臓されている情報の「思い」が重すぎてキャパオーバーになったとか。
そんなこともあるかも、とパソコンに何度かのヒーリングを繰り返しました。
それでも復活せず。
近所のパソコン修理屋さんに運んで状態を確認してもらいました。
すると、なんと !
画面が復活したというではありませんか。
ヒーリング効果かしらね、と嬉しくなり、原因はなんですか、とお聞きしたら。
「過充電です。電源を通じて充電しすぎの状態でした。放電して操作したら、無事復活しましたよ」
過充電なんて言葉はじめて聞きました。
今まで一度も起きたことのないトラブルです。
ピンときました。
「充電終了 ! 」
そう、私の中のエネルギーが満タンになったよ、というサインかな、と。
私の中のエネルギーとは「愛」。
厳密にいうのなら「自己愛」でしょうか。
自分自身の人生の責任を取るために徹底的に自分を認め、受け容れる。
私がとるべきは私の人生における責任であってそれ以上でもそれ以下でもない。
すべての命に「大いなる」サポートが入っているのがデフォルト。
人の人生の責任まで首を突っ込むのは「過干渉だ」ということのようです。
もちろん他の方のことを排除して生きなさいという意味ではありません。
けれど自分の意識と他の方の意識の線引きは適切に。
そうやってお互いが自立しながら助け合う関係、それが「協調」であり「相互依存」だ、と。
ちなみに「相互依存」と「共依存」はまったく別ものです。
「相互依存」はお互いが相手の足らないところを補って「補完」する関係。お互いに自立している関係です。
「共依存」はお互いが自分の足りない点、欠乏点を相手からエネルギーを奪って仮補充する関係。
私は今まで自己否定が強く、結果、自己愛は少なかったため、ともすればその愛の欠乏感を他者との関係で補おうとしていた、時にそれはモノだったり。つまり「共依存」に陥りやすい性格でした。
自分が愛で満たされればその必要はかなり少なくなります。
「相互依存」へのスイッチが入ったということです。
いよいよ、Go ! サインが出ました。
『準備万端 ! 』
私は私らしく、どこまでも。
この後たくさんの方に同じ流れが訪れるのではないでしょうか。
もしかしたらすでに流れを体感しているよ、という方もたくさんいらっしゃったりして。
地球環境が大変な時には、私たち自身にも波動の影響が現れます。
そのあらわれ方は人それぞれ。
私たちは良くも悪くも自分の道を進むようにできています。
足元は照らされています、たとえそう感じられない時でも。
仮にパソコンが完全に壊れてしまったら、このような想いには至ることができませんでした。
「過充電」という聞きなれないこの単語が今の私へのベストのGiftだったということです。
過ぎたるはなお及ばざるがごとし。
どんなに優れていると思えるパワー・チャージ、あるいはそのエネルギー源でも多すぎればそれは少ないのとなんら価値は変わりない。
なんでも「ほどほど」が良い。
自分にとっての「ほどほど」を探す旅を楽しめ。
その旅のスタート、準備OK ! の時でしょうか。
今までの体験を振り返ると、私は人よりほんの少しだけ体感が早い場合があるようです。
ということは、準備OK ! は複数の方に向けてのプレ・サインかもしれません。
今回の体調不良は結構きつかった。
でももしこれがどなたかのお役に立てるのだとしたら、それはそれでヨシ、ですね。
私の存在、私の体験はきちんと意味がある、という事実を確認できたことになりますから。
以下、7/13に追記しました。
きょうは新月であり、日食でもあるんだとか。
しかもかに座の新月はかなりパワフルなんだそうです。
蟹のかたい甲羅を打ち砕くかのように何かをこじ開ける ?
時代の扉でしょうか 。
それともかたい甲羅で何があっても私たちを守り続けてくれる ?
絶対的安心でしょうか。
そして「13」の意味。
奇しくも本日「過呼吸」というエッセイをアップしています。
呼吸。私たちの命にとって欠かせない、とても大事なものですが、それでさえ、「過ぎれば足りないのと同じ」なのです。
中庸、バランス、調和。ゼロ・ポイント。
ここが新たなスタート地点。
私だけではなく、きっと大いなる一つ。
※ 追記
一文字だけ修正しようとしたのですが何回もログインできず、のサイン。
これ、「YES !」のサインです。