心理学用語だそうです、筋肉の鎧、性格の鎧という表現があるとのこと。
詳細を知りたい方はご自身で調べてみてくださいね。
私の場合、一回さっと目を通し、その一瞬の記憶で文章を書くことが多いので、厳密に言うとそれは違うよ、という場合も出てきますのでいろんな意味で要注意 笑 です。
簡単にご説明すると。
筋肉の鎧。
自分の身を守るために、特に「こころ」を守るために、筋肉でバリケードを作ってしまう体質のこと。あるいはその性格も含めての、その結果による状態のこと。
性格の鎧。
文字通り、心にバリケードを作ってしまう性格・体質・気質のこと。あるいはその結果による状態のこと。
なんだ、これ、私のことじゃない ?
私は「愛着障害」であるため、自分の身、心を守ろうとバリバリな性格とまた筋肉で今まで生きて来たタイプです。
自分が「愛着障害らしい」と気づいたのは一年半前。
そこから自分自身に向き合い、「ずいぶん」と頑張って「性格の鎧」は外してきました。
ずいぶんと楽になったな、と喜んでいたところに飛び込んできたのが「筋肉の鎧」という言葉です。
なんか「ヘナヘナ」しそうになりました。今までの「頑張り」「踏ん張り」は意味がなかったの ? と。
具体的には私は身体がかたくて、13年もヨガやストレッチなどのエクササイズを続けて来たのに、まったく身体のかたさはかわらず。
最近のヨガブームで、身体が柔らかいことこそ素晴らしい、みたいな動きが感じられて、正直、「私はダメってことなのね」と意気消沈気味でした。
「愛着障害」の人はお母さんのお腹にいる時から、身をじっとまるめて自分自身を守ってきたんだとか。それは誕生してからも続いて、幼少期も辛いことがあると背を丸めて胎児ポーズで我慢し続けて来たらしいのです。
そのため特に背中・背面には哀しい想い出、辛い思い出がたくさんしみ込んでいるとのこと。
そのことも一年半前に気づいたので、できるだけ背面を動かすようなエクササイズにもトライするようにしていました。
本当は誰かに「タッチ」してもらうのが手っ取り早いらしいのですが、私の場合、身体を触られることに緊張感を感じるタイプなので、それは二の次、三の次だな、と感じていました。
不思議なもので、私のカウンセリング・セッションのクライアントさまの中にも背中バリバリの方はたくさんいらっしゃいます。
みなさん、そのバリバリ加減にも気づかないほど。
類友の法則なのか、波動の法則なのか。
けれどみなさんは遠隔でのヒーリングを受けてくださるとかなり楽になってくださるんです。
ということはセルフ・ヒーリングをすればいいのね、と思うんですが、セルフの限界なのか、背面はなかなか解れてくれません。
地道に取り組んでいこう、と思っていますけど。
ところでこの筋肉の鎧とか性格の鎧、実はボディ・セラピストさんやスポーツ・クラブのインストラクターの方からすると「身体がバリバリで大変なことになっていますよ。早く解してあげないと」とかなりの危機感をもって説明を受けるはずです。
自分がそうだから弁解するわけじゃないんですけど、でもそのバリバリで自分を守って来たある意味勲章みたいなもの。
その、ご自分の頑張りを決して「いけない」なんて否定しなくて平気です。
そうしなければ生きてこれなかった。
そうしたからこそ生きてこれた。
自分の大切な大切な一部です。
私だって身体が柔らかくなればいいな、とは思っています。
けれど身体の柔らかい方の方がかたい私なんかよりずっと優れているんでしょうか。
優劣ついちゃうものなんでしょうか、身体の柔らかさ、かたさって。
ただ違いがある。
今教えていただいている「ヨーガ」の先生はいつもおっしゃいます。
【身体の状態は一人一人違って当たり前。
すべての方に私と同じポーズをしてくださいとは決して思いません。
またできる、できないでもないと思っています。
みなさん一人一人が「各自の座」「各自のポーズ」をとってご自身を感じてくださるのが「ヨーガ」の本質だと思っています。】
13年間お世話になった先生は、「今の身体を作っているのはご自分ですからね。ちゃんと解してあげないと大変なことになりますよ」と警告&叱咤激励タイプの指導方法でした。
私は「もう無理」とその先生の元を卒業しました。
けれどそのお蔭で新しい先生に巡り合えました。
「筋肉の鎧」「性格の鎧」は確かに心理学の臨床の中でも「好ましいもの」とは捉えられていないようです。どちらかと言うと改善点としての位置づけ。
でもだからこそ、そこまで頑張った自分をほめる、その材料にしちゃえばいいんじゃないでしょうか。
私は性格的にものすごく柔軟なところもあるし、その反面すごく頑固なところもあります。
でもそのいずれもがあって今の私があるんです。
私はすごく柔軟ですと言い切る方でさえ、100%柔軟だけで頑固なところはひとつもないなんてことはあり得ません。
すべてがバランス、すべてが表裏一体ですから。
例えばヨガのポーズで人間技とは思えないほど身体が柔らかい方であっても、です。
そういう方に限ってかなりストイックな性格だったりすることもあるくらいで。
もちろん身体が柔らかくていけないよ、という意味ではありません。
けれど人は多かれ少なかれ、「筋肉の鎧」「性格の鎧」が身についてしまっているものなのではないでしょうか。
その事実をまず受け容れる。
そして自分にできる方法、自分に合った方法で少しずつ解していけばいいんじゃないでしょうか。
「筋肉の鎧」は今はやっている「筋膜リリース」という手法でケアが可能です。
私、これやってるんですよ。
先生に教わりながら、ストレッチポールという道具を使ったりしながら。
これだと人からの「タッチ」がなくても大丈夫。
逆に自分自身の身体に直に触ったり、触らないまでも自分の筋肉の感じ、筋膜の感じがなんとなくわかったりしますから、自己肯定にも繋がると思うんですよね。
それで大分慣れてきたら、ボディ・セラピーとか受けてもいいかな、と思っています。
色々なタイプのセラピストやスポーツ・インストラクターがいます。
それぞれやはり個性が違いますから、できるだけ「ダメだし」や緊張感を与えない方を選ぶのもひとつの方法かな、と思ったりします。
「ダメ出し」されると身体も一気に緊張してよりかたくなってしまいますから。
セラピーなどを受けて「きゃ~、こんなにバリバリで大変」と言われたら、「そう、大変な人生を歩んできたんだもの」とその時こそ自分自身を思い切りギュッと抱きしめてあげましょう。
セルフ・ハグも自己肯定にはかなり効果的です。
施術者、指導者と呼ばれる立場の方はどちらかと言うと治療家の目線が多いです。
いけないもの、治療が必要なもの、という目線。
それは彼らのお仕事がそもそもそういうものだから。
いけないものなんて何もありません、私たちの命に。
自分が頑張って生きて来たという素晴らしい証明書なだけ。
今まで以上に自分を大切にするチャンスが巡って来ただけ。
身体が教えてくれている様々なサインは自分自身の幸せのために存在しています。
自分自身の「受容」のために存在してくれています。
そう、私たちの大切な味方です、どんなサインも。
筋肉の鎧も性格の鎧も愛すべき自分自身。