自分の意識が創った牢獄からの釈放

結界の解除ということでここ何回かお話してきましたが、どうやら私たちは自分で自分の周りにさまざまな結界を創っているようだ、との事実に気づきはじめていました。

 

結界ならまだしも、それが牢獄になっているのでは。

 

「〇〇してはいけない」

「〇〇でなくてはいけない」

「〇〇でないと不幸になる」

 

さまざまな「抑制・抑圧」の意識。

他者から支配されているような気になっているけれど、その牢獄の番人は自分自身ではないかと。

 

きのう、気圧の影響であまりにも体調が悪く、もちろん一時的なものですが、イライラして仕方ありませんでした。

 

そして「カミ」にクレームをつけたのです。

 

「もういい加減にしてください。いつまでこんなワークを続けなきゃいけないんですか。私にはもっとやりたいことがあるんです。それをすれば地球にだって貢献できるんです。私自身もそうですけど周りにいてくれる人だってもっともっと愉快に快適に暮らせるようになるんです。私はそのために生まれて来たんです。いい加減、私のいうことを聞いてください」

 

私はかなり我慢するタイプなので、いよいよとなると爆発してしまいます。

「カミ」に対しても切れ気味になります。

そういう時の私は「計算なし」。

 

子供のようにストレートに正直に自分の思いをぶつけます。

 

言ってしまってから「カミにあんな言い方をしてよかったのかしら」と反省するのですが、まぁ、いいんだ、本当のことだから、本心を伝えただけだから、といわば腹をくくるんです、開き直るんです。

 

今までどれだけ我慢したと思ってんのよ、と。

 

やりました。

 

きょう朝一番で「解放」のメッセージです。

今までも何回か「解放」のメッセージは浮かんで来ているのですが、きょうは普段とは違うスケール感を感じました。

 

ちょっと調べてみたら「新しい愛の始まり」のファンファーレのようです、この一連の流れが。

 

そっか、私は自分で自分に制限を付けていたんだ。

良い子にしていないとカミに嫌われる。

できるだけおとなしくつつましやかに生きた方がいいんだ、と。

 

その制限こそ、自分の意識が創り出した牢獄だったということがわかりました。

 

私たちは自分で自分自身に制限の信念を植え付ける「セルフリミティングビリーフ」という行為を無意識のうちにしているんだとか。

 

特に私たち女性は「女性は非力で無力だ。一人でなど生きていけない。自立したら必ず不幸になる」という信念を抱いているそうです。

 

私は誕生日的にみても、姓名からみても「はじけまくった自由の象徴」という星の元に生まれています。

 

本来自由にどこまでも自由にはじけまくってこそ本領が発揮できる、かなりユニークな力をもっているらしいのです。

 

ところがそれに比例して「制限の信念」も半端ではないほど強くつけていたようなのです。

 

山と谷の法則、光と影の法則です。

 

前者が大きければ後者も大きい。

そうやって私たちはエネルギーのバランスをとるようになっています。

 

よく世界的アーティストの光と影のようなお話を耳にしませんか。

ものすごい栄光と闇。

そのどちらもがあってその人の人生が織りなされています。

 

私たちはともすると、その栄光の記録だけに目が行きがちですが、例えば亡くなってからあの人はこんなにも孤独だった、大きな闇を抱えていた、とその人のまったく異なる側面に目を向けさせられることは少なくありません。

 

この両面を受け容れる。

おそらくその方自身ができなかったこと。

それをこちらの世界の私たちが行うことによって、その人の人生に真の光が差し込みます。

 

光だけが優れている、という考え方は、個人的には欠落した何かを生み出してしまうものだと感じています。光も闇も同格、同価値。すべてがその人の人生のパーツです。

 

世界的レベルのアーティストと同じスケールであるはずはありませんが、私たちにもまた光と影の法則は成立します。

 

私の場合、「自由と抑圧」「自由と束縛」「受容と拒絶」などがそのメインに置かれる人生のようです。

 

自分で創った牢獄が強固であればあるほど、釈放の喜びは大きくなります。

ストッパーが強ければ強いほど、ジャンプ力は大きくなります。

 

制限の信念は誰にでもあるはずのものです。

 

何が自分を抑え込んでいるのか、その根本にはどんな意識があるのか、そこまで踏み込まなければ自由になれないというのは何とも気分が重いものです。

 

けれどその事実に立ち向かう力と勇気は誰にでも備わっています。

 

使うか使わないかの選択の自由もまたすべて自分の中におさまっている「宝物」の一つです。

 

「カミ」はご機嫌なんかうかがってほしくないのではないでしょうか。

ストレートに真正面からハートの本心をぶつけて欲しいのではないでしょうか。

 

「カミ」に全幅の信頼を寄せてブチ切れた私に、すぐさま「OK !」のエネルギーを贈ってくれたのは「カミ」でしょうか、それとも悪意ある何かでしょうか。

 

私の中では明確な答えが浮かんで来ています。

 

すべての「制限」を作っているのが自分自身だとしたら。

すべての「制限」を解き放つのも自分自身。

その「自分自身」と「カミ」との間に本当にものすごい「格差」があるのでしょうか。

それとも「同格」なのでしょうか。

もちろん「差異」はあるでしょうけど。

 

いずれにしても、いよいよまで我慢するのが私らしいと感じていたけれど、本当はそれでさえ、自分が創り出した「防御策」だったのではないかと感じます。

 

自由になり過ぎる自分が怖いとか、はじけまくりの自分は大変なことになるとか 笑。

やはり女性ならではの「非力で無力な私が自立なんかしたら大変なことになってしまう」という制限が私自身を牢獄におしとどめていたのかもしれません。

 

確かに「ほどほど」が良いけれど、「制限」の頃合いをみていくためにはそれなりに技がいるのかもしれませんね。

 

それを楽しむ。それも人生の喜びの一つ。

 

ここ数日、大きな気圧のうねりが沸き起こっています。

 

波にわが身を委ねて。

赤ちゃんのように自然に、たくましく、しなやかに。

 

そんな私たちを悪意をもって一方的に振り落とすような存在はこの地球にはいないはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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