※当エッセイは2018/07/04にほぼ執筆し終えていましたがどうしてもアップできず2018/07/05のアップになりました。アメリカの独立記念日。何か関係があるのでしょうか。きのうの午後は気圧に踊らされて、体調バランス崩れまくりました。夕方、空をみたら、分断されるかのような雲と太陽。何かのメッセージのようです。
さて。
『笑う門には福来る』
この有名なことわざに、ハートが引っかかりました。
笑っていないと福は来てくれないの ? という素朴な疑問が浮かびました。
『幸せだから笑うのではない 笑うから幸せになるのだ』
ゴーストライター時代にとある自己啓発の先生の本で、私自身が書いたこの言葉。
これにもまったく同じ反応が浮かび上がってきてしまいました。
では、上手に笑えない人、笑顔を「作れない」状態にある人を「カミ」は見放すのでしょうか。
自己啓発系の本をみるとわかります、表紙にはたいてい満面の笑みの著者さんのお顔の写真。
私はかなりあれには違和感を感じることがあって。
自己啓発ではないのですが、ある医療系のサイトにお邪魔した時、先生がみんな「満面の笑み」を浮かべていて、ごめんなさい、気持ち悪くなってしまったんです。
笑顔の素敵な人、微笑み上手。
一般的には「魅力的」とされる人たち。
でも。
本当に心の底からの笑顔なのかな。
営業用の笑顔なのかな。
もちろん営業用の笑顔がいけない、という意味ではなく。
けれど案外そういう方って、実際にお逢いすると ? と感じる方も少なくありません。
なぜなんだろう、私の中に「笑い」に引っかかる何かが隠れているみたい。
早速「笑」、という字について調べてみました。
その語源は巫女さんが神様にお祈りをする時に両手をあげて、神様に喜んでもらうために「笑い」を浮かべて踊る。トランス状態に入る。
それがそもそもの「笑」の語源らしいのです。
上の部分の「竹」は手なんだとか。
阿波踊りとか、あの手の「手」の動きが思い浮かんできました。
「笑」はどちらかというと「踊り」のイメージでしょうか。
つまり「心の底からの笑い」「全身での喜びの表現」ということのようです。
また仏教には『和顔愛語』という言葉があって、人には優しい表情で優しい言葉を使って接しないさいという意味合いのお布施の考え方があると言います。
優しい表情、つまり柔らかな表情。
仏頂面よりは笑顔、のイメージですよね、たぶん。
おもしろいですね、なぜかここに「仏頂面」という言葉が浮かんできました。
「仏頂面」とは不愛想な顔、不機嫌な顔、という意味だそうです。
でも私たちは人間だから、哀しい時もあって、怒っている時もあって、落ち込んでいる時もあって、いつもいつもニコニコしていられないというのが本当のところではないでしょうか。
笑い、笑顔が一番価値があって、泣き顔や落ち込んだ顔はそれらより価値が劣るんでしょうか。
理屈はわかるんです、私にも。
波動の高い状態を保ちなさい、自分自身のためにも、という意味のことですよね。
けれど自分の本当の気持ちにフタをして、ニコニコしているのって、自己防衛に繋がって、さらに自己否定に繋がって、自己かいりに繋がってしまうのではないでしょうか。
いつもいつもそういう風にしていたら、自分で自分を壊してしまわないでしょうか。
私は愛着障害であり、「良い子」としての仮面をつけて生きて来たタイプなので、笑顔はかなり得意な方です。
ある時、その笑顔の奥にたくさん自分の感情を抑圧していたことに気づきました。
私はいつもいつも楽しかったわけではないし、いつもいつも穏やかだったわけでもありません。
でもニコニコニして、いつも「良いお顔」をしていないと人から愛してもらえない、幸せになれないと信じ切って来たので、どうしても自分の本当の「こころ」を置き去りにして生きてしまいました。
そしてその事実を認め、一つ一つ受け容れることで心のひずみ、ゆがみが少なくなって来たことを実感させてもらっています。お蔭さまで愛着障害もセルフケアでほぼ克服の状態にたどり着けています。
幸せでなければいけない。
幸せである自分をアピールしなければいけない。
人格者である自分をアピールしなければいけない。
バランスの取れた人間である自分をアピールしなければいけない。
もしもそんな気持ちでの「満面の笑み」なら、卒業のチャンスはいつでもあるような気がします。
ピエロのように「泣き笑い」。
切ない心の痛みが伝わって来てしまうな営業用笑顔。
大丈夫だよ、そんなに無理しなくても。
カミさまは私たちみんなを平等に受け容れてくださる存在だから。
深い深いところで私たちのすべてを受け容れてくださっている存在だから。
もちろん笑いが悪いわけではありません。
また医学的に検証された「笑い」の効用などは上手に生活に取り入れていきたいもの。
穏やかな心持ちで自然に笑みがこぼれる、とか、ついつい母性溢れて慈しみの笑顔が浮かんでしまう、という時には、思う存分「笑顔」を楽しみましょう。
お腹の底から笑いがわいてきた時は思いっきりお腹を抱えて笑いましょう。
あまり「笑」が得意ではなくてもいいんです、「クスっ」とか「うふっ」でも。
自分らしく「笑」っていられれば十分なんです。
誰かのため、というより、自然に放射されてしまう何かとして。
その状態を「カミ」が良いとか悪いとかジャッジするはずはありません。
同じように泣きたい時には泣いて、怒りたい時には怒って、落ち込みたい時には落ち込んで。
そんな感情の嵐の一つ一つを大切にしていきたい。
何より「自分らしく」「あなたらしく」。
自然な笑顔ハンサム、笑顔美人ってたたずまいも素敵ですよね。
自然体、どこまでも。
演じているかのような「幸せオーラ」ではない、やわらかい光を放っています。
動物君や植物と同じくらい自然。
そこにたどり着けるようになるにはまだまだ、です、私の場合。
でも今の私が今の「ベスト」だから。
それでいいんだ。
「笑い」は心をなめらかにする潤滑油の働きをしてくれます。
一方、それが「しなければいけない」「そうでないといけない」となった時には、私たちの心を縛る鎖にもなり得ます。
どちらもあっての「笑」。
どちらもの「笑」にあたたかいまなざしを。
どちらも私たち自身の大切な一部だから。