卵巣がらみで卵子のことについて調べてみました。
卵子は年々減り、さらにその質も低下する。
つまり卵子も年を取る。
こういう情報が一般的なようです。
例えば不妊治療を受けた女性は、こんな話を医師からコンコンと聞かされるんでしょうか。
また、仮に高齢出産という選択をしたら、「あなたの卵子は年を取っていて、きちんとした子が生まれるかどうかわからないんですよ」と気持ちがグンと重くなるような話を聞かされるんでしょうか。
しかも日本は不妊治療の数は世界で一位。同時に成功率は最下位なんだそうです。
それってもしかして医師が「メンタルケア」を充分にフォローしていないから、ということもあるのではないでしょうか。
私の個人的な考え方です、すみません。
ついつい現状の病院、医師については、よく言えば理論的、理性的、悪く言うと科学一辺倒の傾向が強いのではないかと感じてしまうんです。
それは私が子宮の病気になった時のトラウマが残っているからかもしれません。
私は三人の医師に「ガンでは」と診断され、同時に「子宮と卵巣を全摘しなさい」と指導されました。
突然「ガン」という言葉を聞かされ、それも三人の医師から。別々の病院です。
さらに当然のように「子宮と卵巣の全摘」を促され、その理由の一つに「もう妊娠は考えていませんよね」という言葉までかけられました。
では全摘によるデメリットは、と質問したら「なんのことはない、更年期と同じ症状が出るだけです。今もしガンでなかったとしても放置しておけばまちがいなくガンになりますよ。ガンと更年期障害とどちらが大変だと思いますか」との回答でした。
想い出しただけでも腹が立ってきました 苦笑。
私たち女性を子供を産むだけの機械、道具だと思っているんでしょうか。
しかも二人は女性医師でした。女性が女性を理解していない。つまりその医師自身が自分の女性性を否定していたということが今ならわかります。当時はとてもそんな考え方はできませんでしたけど。彼女たちは一般に言われるところの名医とのことでしたが、病院の中で「女性だから」「女性の癖に」そんな言葉をかけられ続けながら自分を抑圧して生きていた一人の女性なのかもしれません。
現実問題として、当時の私はこんな人たちと話していてもラチがあかない。切ると何かのポイントが上がるんじゃないの、とそこまで屈折した思いを抱きました。
結果、手術という選択肢ではなく、漢方薬と食事療法という代替療法を選択。
治りましたと報告した時、「あり得ない、あの状態で」と三人が三人とも口にしたのです。
私は負けん気が強い方なのでそういう対応ができました。ふざけるな、という怒りが私自身を発奮させてくれました。怒りを力に変えられるタイプのようです。
こうしてみると怒りという感情は決して悪いものではありませんね。
ケースバイケースではあるでしょうけど。
さらに冷静に考えると、私はそれまで怒りをものすごく抑圧していて、その結果子宮や卵巣を攻撃する形になった。
その真意は、自分を愛しなさい、自分自身を慈しみなさい、ということだったようです。
自分に向き合いなさい、が身体からのメッセージでした。
けれどもっと気の弱い女性だったら、すぐに全摘、ですよね。
もちろん全摘の選択肢が悪いという意味ではなく。
そしてその人のココロの中には、ずっと「私は子供を生まなかったことで地球に貢献しなかった。役立たずだ。女性としての本来の役割を果たせなかった」という想いがそれこそ潜在意識の奥底に押し込められることになったはずです。
実はこれは実際にカウンセリングのクライアントさまが何人も口にされた言葉です。
医師という職業についている方は、もちろんそうでない先生もいらっしゃると思いますけど、どこか何かが欠落した視点で患者さんをみる場合も少なくありません。
欲しくて欲しくて仕方ない赤ちゃんを授かることができない。
それだけでその人は自分を責め続けるんです、罪悪感を感じて自己否定をするんです。
そんな苦しみを抱いている人に「あなたの卵子は年を取っているし、数も少ないんですよ。たまたま妊娠できたとしても赤ちゃんが無事育つかもわかりません。それでもいいんですか」と、真実ではあるかもしれないけれど、そんな言葉をかけ続けるんでしょうか。
逆に何人にも向けてそういう言葉をかけ続けて、そのお医者さん自身辛くならないのでしょうか。
それが医師の役目なのかもしれませんけれど。
私は自分の人生の課題として、子宮と卵巣に大きなトラブルを抱える、というストーリーを自分自身で選んできました。
そして女性性の抑圧というテーマをきちんと昇華して女性性の復権に向けるように、そういう一見「悪役」の医師を三人設定しました。
結果オーライというか、精神的には大満足を感じています。けれどそう感じるまでには何年もかかりました。
肉体的には不快な気持ちを感じた、怒り心頭に発した、というのも本当のところです。
もし私と同じような状況になった方がいらしたら、怒りを自分自身の将来に向けて活用なさってください。
怒りはいけないなんてそんなの嘘っぱちです。
また不妊治療で心がメタメタになってしまった方は、どうぞ、あなたの価値は卵子の数や若さで決まるものではないということを知ってください。
「産む」ための機械、道具だけではない、あなたの素晴らしい価値を、アイデンティティを。
私は子供を産まないという選択をしました。
その代わり、というか、自分の子供ともいうべき作品をたくさんこの世に送り込ませてもらっています。
これからもまだまだ「創造」は続きます、言葉を換えれば「出産」です。
また、もちろん子供ではありませんが、愛犬・華実、愛猫・海・うみ、という素晴らしい魂のパートナーも授かっています。
同時に主人というパートナーも授かりました。
すべてが=子供・子宝ではないけれど、私にとっては大切な存在ばかりです。
さらに今までの人生の中でさまさざまな人間関係も育まれてきました。それらによって「私」という子供も育てさせてもらいました。
そういう、素晴らしい人生の資産、宝が私たちには必ず用意されているのです。
結婚しない、子供を産まない、そういう選択をしたからっと言って誰からもあなたの価値を貶められる必然はありません。
子宮、卵巣などをはじめとする生殖器だけが私たちの価値を握っているわけではないのです。
もちろん、たとえそれらを手術によって摘出したとしても同じです。
私たちは子供を産む機械としてこの世に生を授かったわけではありません。
私たちの中には男性性、女性性のいずれもが備わっていて、そのトータルパワー、さらにバランス力こそが私たちの個性を創り出しているのです。
他人が自分をどうみようと関係ない。
私たち自身が自分の存在意義を大切にして、自分の命を心から慈しむ、愛おしむ。
そして自分自身の生も性にも誇りを持ちましょう。その権利はすべての人に与えられています。
心理学的に言うのなら、もっともっとたくさんのお話ができるんですけど、このことだけでもお伝えしたいと思いました。
多分、あの時に傷ついた自分自身への言葉でもあるんでしょう。
私はあの時の経験があったお蔭で、自分の身体を守るのは結局は自分自身だ、という真実に気づくことができました。
お医者さんとのお付き合いの適正距離もつかめました。
お医者さんにはお医者さんの素晴らしいところがあるのも事実です。
けれど過大評価や過信はしない、お医者さんに対しても自分にとってもそれが「ベスト」だと明確にわかりました。
そんな点でも女性性の復権はなしえることができたのかもしれません。
女性性の大きな特徴は、「受容」と「創造」。
ありのままを受け容れて、新たな価値観を創造する、という意味なのかもしれませんから。
「抑圧」や「否定」ではなく。
私の男性性にも女性性にも生殖器官にも「ありがとう」。
肉体のすべてに、細胞のすべてに「ありがとう」。
あの時の三人のお医者さんにも「ありがとう」。
あの時、「大丈夫ですよ」と私を支えてくれた山形の漢方薬局の薬剤師さんに「ありがとう」。
ネットと電話だけのお付き合いでした。
それでも見事に私の体質に合ったお薬と食事内容の指導をしてくださいました。
その後の私の人生の軌道修正に力を貸してくれました。
だから今私はここにこうして生きていられます。