前エッセイ、力を入れて執筆しました。
そのお蔭なのかものすごい手放しの嵐が起きています。
そのうちの一つ、「ヨガ」の卒業です。
私は13年間ヨガのレッスンを受けています。
昨年の後半、それまでの先生のレッスンがしっくりこなくなって異なる先生のレッスンを受け始めました。
実は昨年まで受けていたのは限りなく「ストレッチ」に近いヨガだったらしいこともわかり、結構なショックを受けていました。
私がやっていたのはヨガではなかったの ?
(この辺の種明かしは当エッセイの後半に含まれています)
そこで古式ヨーガに近いスタイルの「ヨガ」と「パワー・ヨガ」の二つにトライしました。
古式ヨーガタイプの先生は、おそらく本来のヨーガの考え方にかなり忠実です。
一方、パワー・ヨガはどう考えてもエクササイズ。
いけないという意味ではなく、両者の違いは歴然としていました。
パワー・ヨガも気持ちいいんです。
普段使わない筋肉を使ったりもして。
ところがここ一か月くらい前になんだか飽きて来たな、と感じてしまって。
飽きる、という言葉はあまり良い意味にとられないことが多いけれど、私は柔軟宮という「フワフワ」「フラフラ」タイプの星座の生まれなので、それが当たり前なんだ、ということについ先日気づいたばかり。
どうしようかな、やめようかな、でもやると気持ちいいしな、と心がアッチに行ったり、コッチに来たり。
これこそ、充軟宮の大きな特徴なんだとか。
そして今週、水曜日、パワー・ヨガのレッスンを受けてきました。
その時はなんでもなかったのに、翌日あたりから腰が痛くなって、きょうはさらに痛くなって。
どう考えてもパワー・ヨガの後なんです、腰が痛み始めたのは。
身体に痛みが出た時は、何かの「手放し」のサインがあらわれた証拠。
そうわかっているのに、さすがに腰が痛いと気分も重くなって。
普段、熱とか咳とか下痢とか、それくらいの体調不良しか起こらないようになっているため、久々に過去の身体の弱かった自分を思いだしてしまったんでしょうか、どうにもドヨンと気分がスッキリしません。
そしてきょう、ピラティスのレッスンを受けてきました。
始まる前に先生にどうやら腰を痛めてしまったらしいことを伝えると、先生はどこが痛いのか、どうすると痛いのかなどを聞いてくれて、そこに負担がかからないようなレッスンをしますね、と言ってくれました。
グループレッスンですから、パーソナル対応ではないのに。
一時間のレッスン。
終わったら、なんと腰の痛みがなくなっているではありませんか。
ビックリです、感動です、感激です。
体幹を整えるってこういうことなんだ。
整体とかに行くより全然いいかも。
もちろん整体に行く気はさらさらなかったんですけれど。
体幹を整える。自分でできる身体のヒーリングです、まさに。
すごい、すごいとメチャクチャ気分が上がってしまいました。
外に出たら富士山が見えるではありませんか。
「YES !」のサインだ。
もう迷うことはありません。
パワー・ヨガの先生はかわいいし、とてもチャーミング。
でもポーズの綺麗さ、アーサナと言います、その綺麗さ優先の考え方をしているのは事実。
本来のヨーガはほとんど「宗教チック」な生活哲学というか、生活体系のようなもの。
その中のほんの一部であるアーサナはどう考えたってストレッチと同じです。
ストレッチにはストレッチの良さがあって、私はストレッチ・レッスンも13年間続けています。
ストレッチは元々ヨガのアーサナをベースにしているんだとか。
ですから両者は親戚みたいなもの。
ところがヨガの先生はたいてい、ヨガはストレッチとは違うと考えています。
ヨガは身体だけではなく心も整える、と。
実はどんなエクササイズだって心も整えてくれるんです。
身体と心は連動しているので、身体を動かせば心だってしなやかになります。
その逆も然り。
つまり、ヨガだけに心身調律の効果があるわけではありません。
そこに先生自身の認知の歪みが生まれやすい。
もちろんそれがいけないという意味ではありません。ヨガにはヨガの良さがあるのも事実ですから。
どんなエクササイズもそうですが、その時の自分に合ったベストを見つけ出していくのが私の思うエクササイズの意味です。
というわけで、パワー・ヨガ卒業。
古式ヨーガについては、先生の講釈の部分にまだまだ興味があるのでしばらく続けていくつもりです。参加頻度は落とす予定です。
ハッキリしました、スッキリしました。
ヨガでなければいけない、という執着、ヨガへの依存はなくなりました。
ちなみに腰の痛みの意味は。
変化への強い恐れの解放。
右腰だと。キャリアの変容、なんだとか。
やりましたね。
ヨガやパワー・ヨガ、その他のヨーガなど、しっくり来る方はそのままでいいんですよ。
私の場合は、というだけのことですので。
みんな必要なものは違うんです、人生の課題が違うんですから。
その違いを楽しむ。
違いからたくさんの学びが生まれるんです。
個人的に私はヒンドゥーとの関わりも深いようなんですが、ヨガへの執着が私の縛りに繋がっていたことに、やっときょう気づけました。
14年目の真実。
ヨガちゃん、たくさんの想い出をありがとう。
解脱を目指すという意味の本来のヨガについては、ここではちょっと違う話になりますのでまた別の機会にでも。