前のエッセイでの「虚無妄想」という言葉にたどり着いた時、なぜか「虚無僧」という言葉が浮かんできました。
調べてみたら、時代劇で時々出てくる編み笠をかぶった隠密、つまりスパイ役の僧のことを言うらしいんです。
さらに調べてみたら、なんでも当時の武家の次男、三男あたりは
長男宅の居候 = 「やっかいもの」になるか虚無僧になるしか道はなかったんだとか。
個人的に編み笠が怖いんです、なぜか。
さらに「やっかいもの」という単語にハートが反応してしまって。
選択肢が少なくて自由がない、という感覚も伝わってきます。
同じ武士でも長男だけは別格らしいという事実も哀しい。
過去生なんでしょうか。
それとも集合意識なんでしょうか。
ちなみに
虚無妄想とは。
自分自身を過小評価する微小妄想の一種。
「自分は空虚で存在せず、世界も存在しない」
「この世は生きる価値がない」
なぜか虚無僧の気持ちと相通じるものを感じました。
特に
「自分は空虚で存在せず、世界も存在しない」
痛くないですか、切なくないですか。
だから編み笠 ?
顔のない存在 ?
自分の存在がない ?
ハートが痛くて痛くて仕方ありません。
しっかり感じつくしました。
過去生であっても集合意識でも、きっと抑圧された何かが大きい人たちだったのではないでしょうか。
隠密の「密」、以前お話しましたけど何かを閉じ込めるという意味の字なんだとか。
隠密の「隠」はみんなに知られないようにひっそりと神様に祈るという意味なんだとか。
なんだかすごく哀しいエネルギーが伝わって来たのはそのためなのかもしれません。あの編み笠は外からの何ものかに対する仮面であると同時に自分自身の意識を抑え込む意味での仮面でもあったのかもしれませんね。
ある意味、結界。
実は誰しもが自分で作り出している仮面 = ペルソナは結界そのものなのかもしれません。
あの編み笠は、そのペルソナの象徴とも感じられます。
世界中には私たちの知らない様々な職業があって、その職業ごとにこれまた様々な哀しみの記憶が抑圧されているような気がしてなりません。
社会の中でその一部として生きる。
そのために得たもの、失ったもの。
それらの記憶のエネルギーがカオス状態になって私たちの中で生き続けている。
けれどその過去があっての今の私たちです。
この世に無駄なものは何一つありません。
とすると「虚無僧」たちのメッセージはなんなんでしょう。
自分の顔を持て ?
自分の世界を持て ?
自分らしく生きろ ?
自分たれ ?
闇にも一筋の光明 ?
このように、その一見「負」の裏に隠された「正」を探ると、その存在意義が視えてきます。
もしかしたら、これ、すごく大切なことなのかもしれません。
一見「負」に隠された「正」の解読。
けれど「負」なくして視えてこない「正」。
どちらの価値も同じ。
どちらもがあっての今回の場合は「虚無僧」。
思いつく限りの職業をピックアップして、「正負表」作ってみようかな。
何者かによって闇に葬られてよい職業なんてあるはずはありません。
逆にどれだけたくさんの人が目に視えないところで誰からの評価も受けず、けれどしっかりこの地球を支えて来たかがわかるかもしれませんね。
自分はその中の「一つ」なんだと。
みんな「一つ」なんだと。
すると地球の細胞としての大きなフレームが視えてきそうな気がします。
地球の全体像が視えてきそうな気がします。