精神医学用語。
たいていのサイトに同一の解説がありました。
虚無妄想とは。
自分自身を過小評価する微小妄想の一種。
「自分は空虚で存在せず、世界も存在しない」
「この世は生きる価値がない」
など、一切の存在や価値を否定してしまう妄想、の意味なんだとか。
ふと気づきました、これ、文字だけみると仏教の「空」の概念と同じではないでしょうか。
かたや心のアンバランスを象徴するモノ。
かたや心の調和加減を象徴するモノ。
おもしろいですね。同じコトでもまったく真逆の解釈になるという事実。
その人のフィルター、色眼鏡、価値観で解釈が反転してしまうのです。
ということはこの世に絶対的真理などと言うものはなく、その時々、その人々、そのシーン、シーンによって真理はあちこちに変わりまくるということなのではないでしょうか。
私は宗教的教義に疎いので、最初、この空という概念に遭遇した時、正直まったく理解ができませんでした。
そのうち、なんとなぁく意味がわかりかけて、YouTubeで「空」の概念に基づいた誘導瞑想動画を観ながら何回か瞑想状態に入っていました。
その時はすごく気持ちがよかった。
そのうち、その動画を観ると気持ちが落ち着かなくなりました。
「だって私たちには肉体があるでしょ。肉体はどうしたって消えないでしょ、旅立つまでの大切なパートナーでしょ」と。
そして現在。
魂もあの世も大事だけど、私は「いま」のこの瞬間を思う存分楽しみたいな、と思っています。
今だけの命のスパーク。
この先にまた感じ方が変わる時がくるかもしれないけれど、いまはそんなところです。
そう考えると、Aの理論の人が、ある時突然Bの理論に変わることもあるから、自分とは違うというだけで他者の考え方を攻撃するのはどうなんだろう、と。
結果自分のことを攻撃することに繋がってしまうのではないでしょうか。
グルグル変わるんだから価値観もその立場も。
一生絶対的価値をもって、一生同じ立場で生きられる人なんてこの世に存在しないはず。
それと同じように、もし過去生を持ち出すのなら、過去生では今と真逆の理論、価値観、立場で生きていた可能性もあるような気がします。それだって一つではないわけで。
言葉を変えれば全部自分の一部、ある、ひとつの側面なのかもしれませんね。
虚無妄想。
なぜだがハートに響いちゃいました。
私たちは大元の一つを想い出すために、万華鏡をクルクルクルクル回して遊んでいるようなものなのかもしれません。
ここ数日、空の美しさが半端ではありません。
きょうはとりわけ綺麗です。空気の彩度そのものが上がっているような感じ。
雲の形一つとっても独創的、創造的。
ところとどころに彩雲もあらわれて、許されるのならずっと空を眺めて漂っていたい気分です。
風に包まれていたい気分です。
けれどこの空でさえ、なんとなく落ち着かないと感じる場合もあるのかもしれません。
みんなそれぞれ。
みんな正解。
みんな最高善。
みんな、大丈夫。