結界を解く。
二回にわたってお伝えしてきました。
なぜこういう流れになったのかその謎が解けました。
結界は言ってみれば慣習によって自分を守っている、とのこと。
慣習とは世の習わしだったり、その意識そのものだったり。
つまりそれは「社会」が上手に回っていくためのシステムであるということなのです。
もちろんそれは今までの社会にはとても有効で素晴らしい効力を発揮してくれるものでした。
私たちの一人一人がそれらによって護られ続けてきたのです。
そのお蔭で私たちは自分の中にある力、「意識」という力で自分自身を守れる段階へと進みました。
「社会」に護ってもらうのではなく、自分自身で護っていく。
それは言葉をかえると自分自身でのコントロールなんだそうです。
そうです、としているのは今こうして執筆している時に、私の意識が次から次に動いているようで、この言葉そのものが私の顕在意識というより深層心理から浮かびあがって来ているもののようだから。
いずれにしてもこれからは自分が自分をコントロールする時代。
コントロールとはあまり良くないイメージも感じるかもしれませんが「調整」の意味だそうです。
「調和」に向けての「調整」。
その「調整」は慣習に頼る必要はなくなり、自分自身の意識に頼って大丈夫。
それが二回にわたって「結界を解く」とお話して来た真意のようです。
表現を変えると慣習の縛りを解く。自分自身の意志・意思で。
ということのようですね。
慣習はもちろん悪いものではありません。
けれどそれが因習になると私たちはがんじがらめに縛られます。
その境は一人は一人が判断していくものなのかもしれません。
「しばられる」という人生の学びを選択している魂もあるはずです。
結界外しも自分のペースで自分のベストで、ということなのかもしれませんね。