きのう、結界を解く、というお話をしました。
結界は私たちを魔物から守ってくれる境界線の意味合いをもつもの。
けれどこの結界が強すぎると、中に何かを封じ込めることにもなりかねないらしい。
自分自身の力が真ん中に満ちてくればおそらくこれらの結界に頼る必要はなくなるだろうという主旨のお話でした。
たった今「密教系」の結界らしきものが解かれた感覚を味わいました。
個人的解釈です、密教系に対する批判ではありません。
ただし私は「密教」という言葉に微妙に重いものを感じていました。
周囲に密教系ともいうべき知人が多いせいでしょうか。
密教の「密」という字を調べてみました。
厳密な語源はわからないのですが、どうやら上半分は「閉じる」という意味のようです。もしかして山によって何かを閉じ込める ?
そんなイメージも浮かんできました。
義父が4月に亡くなり、なぜかその葬儀が真言密教のスタイルで行われました。
特に菩提寺と言うわけではなく、ご近所さんだから、とのことでそのお寺さんにお願いしたんだとか。
その話を聞いた時に瞬間的に「密教系のブロックが外される」と感じました。
おそらく密教系の知人によって私は何らかの結界を張ってもらっていました。
けれどそれは場合によっては「封印」「ブロック」の意味合いにもつながることがあって、もちろんすべて私の魂がそういう選択をしてのことだと思います。
が、あまりピンと来ないんです、密教系の考え方。
シークレットの匂い。
それが好きな魂もあるでしょうし、私はどちらかというとオープン、解放の方がしっくりくる魂なんです。
密教系の匂いのするヒーリングも私はしっくりきません。
瞑想スタイルでも密教然としたものはしっくりきません。もしかしたら瞑想そのものがかなり密教チックなのかもしれませんけど。
だからなのか、私が行うヒーリングは自然に繋がってしまったエネルギーを使わせてもらっているだけ。
その前に儀式めいたことはしません。特別なツールも使いません。特別な呪文めいたものも使いません。
瞑想もバクっとしていて、ほとんど呼吸法の延長のスタイルです。この時に結界もはりませんし、石なども使いません。
一時少しだけ石を使っていたこともあるのですが自然に使わなくなっていました。
いゃあ、なんていい加減なんだ、と自分で感じていたほど。
確か密教系のそれはヒーリング一つとっても厳密です。
違う、私とは違う。良い悪いではなく、私のハートに響くタイプと違う。
といつも感じていました。
実は密教系と思える知人が電話で話すたびに密教系のヒーリングを私にしていることに気づきました。
私がお願いしないのに、です。
確かにヒーリングなので気持ちはいいのですが、本来ヒーリングはお互いの確認と了承があってするものだと認識しています。
漠然と対象を定めないヒーリング方法もありますが、一対一のヒーリングは確認なくしてするものではないと。
その時に密教系に対してハートの真ん中が違和感を感じたのです。
もしかしたら過去生で私自身密教系の何かに携わっていたのかもしれません。
ザワザワした感じ。
それがずっと心のどこかに引っかかっていて、線引きをして排除するのではなく、でも自分の求めるド真ん中とは何かが違うという直感は大切にしよう、と感じていました。
そして先ほど、「密」の字と共に、私の周りのある意味「結界」が外れた感覚を実感しました。
私は射手座生まれです。
射手座は柔軟宮と言ってフワフワ、フワフワと生きるのが得意なタイプなんだとか。
すべてが星座でくくれるものではないでしょうけど、私の「フワフワ」願望に結界は必要ないんだろうな、とそんなことを感じています。
密教ダメ、結界ダメ、というお話ではないですよ。
私の場合は、というお話です。
それに実際さまざまな「結界」で護ってもらったこともあるはず。
たまたま「今」の私にはこの状況がベストになった、というだけ。
先ほど外出先でふと空を見上げたら、飛行機が飛んでいるのではなくまるで水の上をすいすいと泳いでいるように見えました。
水陸両用の乗り物があるように、もしかして水と空と両用の乗り物ができるんでしょうか。
空飛ぶ客船とか。
飛行機が潜水艦のようになったりとか。
こんな風に私の頭はフワフワです。良くも悪くも。そしてこれが私です。
フワフワの根無し草みたいなところがあるので時にしっかりとグラウンディングを意識しなければなりません。
バランスですものね、フワフワだけだと大変。
地道過ぎても大変。
どちらもあってヤジロベイのようにユラユラしながら自分のちょうど良いを探していけばいいんだな、と。
意識の結界も外れたのかしら 笑 。
今まで護ってくれてありがとう。
なんとなく新たな人間関係の予感です。
目に視えない人間さんも含めて。
人間関係の縁って「結ぶ」と表現されるものなんだとか。
結んだ世界が一旦解けて、また新たな「結び」が始まる、そんな予感。