古代蓮とのご対面

蓮。

 

大好きな花の一つ。

 

中でもお気に入りは「古代蓮」「大賀蓮」と呼ばれる、約2000年前から生き続けているらしい大蓮です。

 

去年はじめてこの「古蓮」のことを知り、東京・水元公園へ。

 

言うまでもなく大感動でした。

 

今年は千葉市の大蓮をみにいきました。

 

比べるわけではないけれど、千葉市の古蓮はまだ三分咲きくらいだったため、その圧巻ぶりはちょうど「盛り」の水元公園の蓮たちが少しリードというところ。

 

それでも十分感動します、十分すぎるほど。

 

蓮というと、私はインド・ヒンドゥーのサラスバティーを思い出します。日本では弁天様と呼ばれ、学問と芸術の神様として人々に大切にされている神様の一つです。

 

以前、バリを旅行した時に、バリもヒンドゥーがメインなのですが、ロータス・カフェなるお店に行って、そこも満開の蓮に囲まれています。その奥にサラスバティー寺院があったことを昨年はじめて知って驚きました。

 

家のそばには「弁天」という地名があり、毎年この時期になるとそこの公園の睡蓮を見に行くのが大好きでたまらないのです。

実は睡蓮と蓮は別物なんだとか...

そんなことも知らずに、どちらも蓮だと信じていました。

 

千葉市の蓮のある公園も確か地名に「弁天」がついていたはず。

 

そうなのです、勝手に「サラスバティーちゃんが私を呼んでいる」と感じています。

 

さて、千葉市の古代蓮なのですが、素晴らしい状況に遭遇させてもらいました。

蓮は自浄作用の高い植物で、葉に水滴が溜まり、その状態をロータス効果と言うのらしいのですが、なんと一つの蓮の花の葉っぱの真ん中からブクブクブクブク泡がずっと噴き出しているではありませんか。

 

その葉だけです、他にはまるで。

 

水元公園にもそんな葉っぱはいませんでした。

 

お花を見に来ているどなたもその蓮のブクブクに気づきません。

 

私だけ ?

 

そう思いながら主人と何回かその葉に近寄ったのですが、ずっとブクブク。

 

「サラスバティーちゃんの祝福のご挨拶ね」と妄想の世界に入りご機嫌になる私。

 

その水滴を触ってみたら、トロッとしてまるで化粧水のよう。

 

主人と二人で手に付けたり、顔に付けたり。

 

つるつる、すべすべなんです、本当に信じられないくらい。

 

これが蓮の自浄パワーなんだ、生命力なんだ、と大感激。

 

そして浮かんできたのは、「あなたたちの中にもこれと同じ力が潜んでいるのですよ。私は2000年も前からそのことをあなたたちに知らせるためにここでこうして生き続けているのです」という、これも妄想が産み出したストーリーです。

 

おそらく、あのブクブクこそ、私たちの中に宿る聖なる叡智「自然治癒力」だったのではないでしょうか。

 

蓮の花も美しさもさることながら、その生命の神秘、そして生命力の強さを一人勝手に感じて、

「やっぱり呼ばれた」と大満足の蓮の花鑑賞でした。

 

サラスバティーちゃんに見守られ、たとえ妄想でもそう思うだけで幸せに包まれる気がしたのは本当です。

 

ちなみに私はサラスバティーちゃんが人間のような形をしているとは感じません。

ただそのエネルギーの質のようなものが、なんとなく蓮チックでしなやかで優美で流麗でそしてたくましい。そんなことをひたすら感じています。

 

しいて言うのなら「サラスバティー気質」といったようなものでしょうか。

 

蓮は朝のうちにしか見られません。

なんでもその公園では蓮畑のそばで朝、太極拳をやっているんだとか。

 

家の近くなら行っちゃうのにな。

 

ちょっとだけ「残念」を残すのもまた楽しいものですね。

 

太古のロマンに想いを馳せて。

内なるサラスバティーちゃんとの何度目かのご対面に感謝をこめて。

 

 

 

 

 

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