前エッセイ、前々エッセイで私は「間違い」をしました。
夏至は昼と夜の長さが半々だとの勘違いをそのまま書いてしまったのです。
なぜかかなり焦っています。。
なぜ ?
そう思ったら「失敗は許されない」という言葉が浮かんできました。
早速ネットで調べてみたら。
日本人の集合意識の中に「失敗は許されない」というものがあることがわかりました。
確かに私たちは小さい時から「正しいことをしなさい」と言われ、ちょっとでも間違えると「ダメ」のらく印を押されて。
大人になっても「成功」者だけが「偉い」「正しい」ように言われ、いつも必死に「正しくて」「成功者」の部類に入ろうと頑張ってきたのかもしれません。
そもそも失敗なんてなくて、本当はすべて「体験」なだけで、それに優劣もなくて。
のはずですよね。
でも失敗があるからこそ成功の喜びがあるのかもしれないし。
失敗は失敗で価値のあるもので、「許す」「許されない」という感覚がおかしいだけなのかも。
とまたまたいろいろ頭が働いてしまいました。
が。
「失敗は許されない」という感覚が私たち日本人の大きな特徴であることがわかり、実はそれは大したことでもないこともわかり、この意識にまつわるいや~~な感情を感じ切ってしまえばまたまた心が少し軽くなるチャンス到来、ということに気づいてしまいました。
なんだ、間違えるのも悪くないじゃない ? と自分で自分をフォローしたり。
体験です、一つの経験に過ぎません。
良いも悪いもなく、ただ「感じる」そのチャンスが訪れたということ。
そして「感じた」瞬間、私たちは必ず前進しています。
前進のための一見「失敗」。
けれど前進という視点でみるのならすべて「成功」です。
そう考えると小さい時から「間違えないように。失敗しないように」と自分で自分にプレッシャーをかけ続けて来たんでしょうね、私たちって。同時にそれを他者にも求め続けてきたのが、今のこの日本社会の姿なのではないでしょうか。
抱きしめてあげよう、そんな自分自身のこと。
これからは失敗したって間違えたって全然平気だから。
誰もあなたの間違いを「許さない」なんて言わないから。言わせないから。
もしも間違えてしまったとしても、成功と感じる楽しみの機会がのびただけ。
まちがえてしまったと感じた時点ですべて真実の成功だから。
大したことなかったんです、「一見」失敗を積み上げたところで。
必ずGiftは届きます、意識のフォーカス地点をちょっとずらすだけで。
私は勘違いによる原稿を書いたことによって、「失敗は許されない」という思考の縛りを一つ手放すことができました。
逆に言うと、この大きな縛り「失敗は許されない」を手放すためにあえて魂は間違いと思えるプロセスを踏んだのでしょう。
『失敗は許されない』、この意識はおそらく日本国民全員の共通認識です、集合想念です。日本人だけではないと思いますけど。
こうやって集合想念に繋がり受け容れることで自分自身の統合が進みます。
と考えるとまさに「失敗は成功の母」なのかもしれません。
失敗 OK !
成功 OK !
どちらもまったく同じ価値です。すべての体験は私たちの人生の糧です。
他人がとやかく言う筋合いも、言われる筋合いもありません。
私たちの人生の煌きはそんなもので覆されるほどチッポケなものではありません。
誇りをもって、失敗ある人生をトコトン楽しみましょう。