私はお花が大好きです。
生きたお花、花模様、花柄。
ふと「お花は植物の性器」という言葉が浮かんできました。
お花は、恥ずかしげもなく、その「性器」を見事なまでに私たちに見せてくれています。
このメッセージは ?
私たちは「性欲」というものを「いけないもの」として抑圧し続けて来た生き物です。
それらに付随して、「セックス」「セクシュアリティ」、そして「性器」「生殖器」を時に汚いもの、「悪」として社会通念的に抑圧し続けてきました。
社会心理学的に「スケープゴート」という概念があります。
簡単に言うと「生贄」のようなもの。
自分の中の罪悪感の代償、贖罪のツールとして他者を生贄にする、というような考え方です。
私たちは「性欲」をいけないものとして抑圧し続けて来たために、「性欲」に関係する何かを攻撃する、という思考に傾いています。
例えば「娼婦」「売春婦」という存在。
これらの存在をいけないもの、恥ずべきものとして同じ女性がさげすむ、見下す、という感情を抱きがちです。
女性から視て、その対象とされた「娼婦」たちはスケープゴートです。
多くの女性が自分の罪悪感を彼女たちに投影したに過ぎません。
この問題に立ち向かうためには、まず自分の「性欲」を受け容れることが必要になります。
「性欲はいけないものだからそれを感じてはいけない」という気持ちだけを抱き続けていれば、いつまで経っても女性の地位向上などあり得ません。
女性自らが女性性の否定をしているのですから。
私たち人間には「性欲」はあってあたりまえ。
それは生殖行為につながる大切な感情、意識です。
また精神世界的にみるのなら、カミと和合するための壮麗な儀式にも繋がる意識です。
この意識を受け容れる。
つまり自分の性欲を受け容れる。
自分の生殖器の存在を受け容れる。
このことに気づかせるために、花はあれほどまでに美しく、まるで誇らしやかに花を咲かせてくれているのではないでしょうか。
私は以前重篤な子宮内膜症と子宮腺筋症を経験しています。
当時は「ほぼガンの状態。そうでなくても放っておけばまちがいなくガンになる」と三人の医師に診断を下され、子宮と卵巣の全摘を促されました。
徹底抗戦 ! の末、私は食事療法と漢方薬の服用で医師たちにそろって「あり得ない」と言われた完治へとこぎつけました。
けれどこれは肉体的に症状が出ないという意味での完治でした。
実はその「気質」はまだ残っていたのでしょう。
それがきょう明確にわかりました。
私は自分の女性性、生殖器などを「忌むべき存在」とさげすみ、憎み続けていたのです、私の深層心理では。
そしておそらくこれは複数の人の集合想念とも繋がったものです。
多くの男性、女性が、女性性、女性性器、生殖器などを「穢れたもの」「卑しいもの」「恥ずべきもの」と攻撃し続けて来たのではないでしょうか。
その「攻撃」の事実を受け容れることで、女性性への攻撃、否定感情などが解放されます。
私が感じたことは、私だけのものではなく、必ず周りに波及します。
それは誰の、どんな感情でも同じです。
きょうは夏至、お昼と夜の時間がちょうど半々になると言われる日。
↑ ごめんなさい、ここ間違えてしまいました。
でも半々でのバランスというメッセージが浮かんだので
あえて原稿書き換えずにおきます。
実際には夏至は陽の極まる日。
夏至を境に陰へと転じていきます。
これは陰陽のバランスの象徴でもありますし、また男性性、女性性のバランスの象徴でもあるのです。さらに光と闇のバランスの象徴でもあるはず。
前エッセイで「新たな調和バランスの誕生」をハイビスカスの花が教えてくれたとお話したばかり。
やはり、と言うか、なんという展開なのでしょう。
すべてが解放モードに入っているようです。
解放、その前に現実、事実を認め、受け容れる。
このステップが私の真ん中でフル稼働で動き始めているようです。
といことはこれを読んでくださっているあなたにも同じエネルギーが生まれ始めているはず。
そう、エネルギーはこうやって繋がっていくのです、すでにそうなっているのです。初めからそう創られているのです。
特に女性のみなさま、
今なすべきは、自分のセクシュアリティを攻撃し続けて来た事実を受け容れ、改めて自分自身のあるがままを全身で受け容れ、愛することです。
「そこ」から男性性・女性性のバランス調整に向けて世界が動き始めます。
男性に攻撃の矢を放っても、女性性の復権はあり得ません。
まずは女性性が先です。
優劣ではなく。