自分自身の限界。
あります、あります。
けれど一般的には、自分の人生に限界なんてない、という考え方の方が自分を成長させると言われているのではないでしょうか。
自分は無限の存在だ、って。
肉体的にみていくとどうなるでしょう。
自分はこれができる、できない。すごくハッキリしますよね。
そしてできないポイントを見つめてみると、「あっ」、突然何かが閃いてきます。
そう、できないことがいけないのではなく、そのことができないからこその自分のできる、がクッキリと浮かびあがってくるはずです。
以前もお話しましたが、私は機械音痴な超アナログ人間です。
パソコンやスマホ文化にはとうていついていけません。
が、その裏には、その代わり、というか自然のものとの共鳴率は高いんです。
また視えない世界とされるものたちとも。
ということは。
表面的に「機械音痴」という一見「欠点」があらわれているけれど、本当はその裏の「自然と仲良し」みたいな、バクッとした表現をするその世界が得意だ、と気づかせるための一種のトリックのようなものなのではないでしょうか。
言葉を変えると、Giftに気づかせるためのカモフラージュとして「機械音痴」という状況の手荷物も同時にもってこの世にやって来た。
つまり「限界」を知ることによる、自分の内的資産への気づき、というチャンスが誰の人生にも託されているのかもしれません。
一見「欠点」、だけど大好き、という思いで向き合っていくと、たくさんのダイヤモンドが自分の中から発掘できるような気がします。
自分の限界を「恥ずかしいもの」として必要以上に自分を大きく見せる。
それはそれであり、ですが、きっといつか自分自身が爆発してしまいます、「こんなハズじゃなかった」って。
限界を知るってすごくポジティブなことなんですね。
素敵なことなんです。
限界ありまくり、のこの命、思いっきり抱きしめて、「大好き !」って叫びたい気分になりました。
あなたはいかがですか。