ここ数日、潜在意識のフタが空いてしまったのか、笑、さまざまなことが浮かんできます。
きょうは『目くそ鼻くそを笑う』。
この言葉の意味は、人をバカにするその人が、その相手と同じ状態であること。自分のことをタナにあげて人の悪口を行ったり、その相手をあざけったりすること、というものです。
同じ穴のムジナ、と少し似ている言葉かもしれませんね。
私たちは自分の姿は自分では見えないので、人を鏡にして自分の姿を映し出す、という、そんな考え方があります。
私がよくお伝えしているペット君は飼い主さんの鏡、という言葉がそれを端的にあらわわしているのではないでしょうか。
目くそが鼻くそを笑います、アイツ、汚いよな、情けないよな、ああはなりたくないよな。
鼻くそも目くそを笑います、アイツ、あんな状態でいて恥ずかしくないのかよ。
大便が目くそを笑い出したらどうなるでしょう。
自分は綺麗だけどアイツは汚いよな、と。
実はこういう時は、目くそは自分を汚いと思っていて、けれど自分自身でその感情を感じたくなくて、その感情を鼻くそを見ることで間接的に感じ取っているのです。
便宜的に「汚い」と表現しましたが、「汚い」の是非などは横に置いておきましょう。
また目くそや鼻くそ、大便が汚いという価値観も横に置いておきましょう。
さて、そうするとお話がスッキリしてきませんか。
目くそが鼻くそを笑っている時、本当は自分の心に向き合うチャンスが来ているんだ、ということですよね。
他者のアラが視えて仕方ない時は、それは私たちが自分自身をそう感じている、というサインです。
そのポイントを覚えておくと、それを自己肯定にかえるチャンスと捉えることができます。
アイツのああいうところが嫌なんだよ。
↓
ちょっと待てよ。ああいうとこ、自分にあるってことなのかな。
↓
そっか、自分のああいうところが嫌なんだ。
だから目を背けていたんだ。
あれは自分自身なんだ。
↓
気持ち悪くて、不快な感情だけど、ここはひとつ我慢して、じっくり味わっておこう。
このステップを踏むことで自己統合が進み、自己肯定が進みます。
つまり、他者のアラは自分を肯定するためのGiftだということなんですね。
例えば「マウント系」のお友達に対してイライラしてしょうがない、という時、それはあなたの姿である時がおおいもの。エネルギーが反転して、マウント系の自分を否定しているか、本当はマウント系の自分を表現したくて仕方ないか、そんな自分に向き合うヒントが隠されているんです。
イライラという感情にもきちんと意味があるということです。
少し視点を変えるとこんな活用法も考えられるかもしれません。
ある人が他の人を強く批判しています。
「あ、この人の深層心理はこういうことだったんだ。自分を受け容れられないんだな、この人。
そっか、これは私に対するメッセージね、自分自身を受けてれても安全だよ、っていう。ありがとう、そういえばここのところ自分にダメだしし続けていたかも。ちゃんと自分のハートの声を聴いていこう」
少しだけ機転を利かすと、こんな風にダイレクトに自分の学びにも繋がるのです。
ちょっとしたコツさえ身に着けてしまえば。
それでも私たちの感情は行ったり来たりを繰り返します。
その行ったり来たりを楽しめるような心のゆとりが身についたらコッチのもんです。