人間ってみんな弱いな、でもだから愛おしいんだな、と感じました。
弱くない人っているんでしょうか。
どんなに強そうに思える人、視える人でも必ず弱っちいところがある。
そもそも強そうに視える、って弱いことの裏返しのところもあるんですから。
わんこが外に出ます、一般的な傾向として弱いコほどワンワン吠えます。
ワンワン吠えることで自分を大きく見せようとする行為だったりするんです。
人間も似ています。
大声を出す人ほど、内心自信のない自分に気が付いているのかもしれません。
が、それを受け容れられないのかもしれません。
人の先頭に立って、リーダーシップを強くアピールする人ほど
本当は権威に弱くて、自分もその権威の一部になりたくて
自分を「大きい」自分に仕立てようとしていることもあるのではないでしょうか。
等身大の自分では不十分、との自己否定が根底に流れていての虚勢だったりするのではないでしょうか。
心理学的に視て行くとその辺、結構つじつまの合う解釈ができたりします。
もちろんなんでもかんでも心理学的に捉えるのが良いという意味ではありません。
ただ視方の一つの方法として、心理学の伝統などを採用してみるのも面白いんですよ、というお話です。
元に戻りますね。
最近、女性が強くなって来て、いろいろなシーンで今まで発言できなかったようなことをハッキリと明言することが多くなっていませんか。
同じ女性として、頼もしさを感じる反面、男性性と女性性の調律できていますか、と感じることも少なくありません。
ということは、私自身の男性性・女性性のバランスがまだまだ気になっているからなのかもしれません。
すべてのことは自分の鏡。
心理学でも確かそういう視方をするはずです。
自分自身の中に抑圧したエネルギーを他者に「投影」することで、自分の中身に気づこうとする行為というか現象のことをそう捉えます。
これが習慣づくと、他者をあからさまに攻撃しようという気持ちがなくなっていきます。
もちろん言いたいことは言っていいんですよ、その感情、意識、すべてを抑圧する必要なんてありません。
でも少しだけフィルターの種類を換えて物事を「視る」ようにすると、あ、これって私自身のことだ、と思えるようになります。
すると自己統合が進みます、自己否定のエネルギーが薄れて自己肯定のエネルギーが膨らみ始めます。
すると自分の芯がよりクッキリとしてきます。
自分の芯がクッキリしてくると、強い自分も弱い自分も両方あって自分だ、ということを受け容れられるようになります。
他者を攻撃する意図があるのか、ただ識別しているのかわかりませんがあまりにも強い言葉で他の人への意見を言っている人は、実はものすごく優しくて、同時に弱くて、そういう自分を受け容れられないからこそ、他者に高圧的にふるまってしまうことがあるのではないでしょうか。
マウント系、という言葉、私は最近知ったばかりですが、まず自分が優位に立とうとする。お相手との関係を「垂直」に捉えているからです、「水平」ではなく。
これは文字通り、ピラミッド社会のエネルギーと同調したエネルギーです。
どこかで支配層になろう、という腹積もりがあるからこその行為です。
それがいけないのではなく、自分が強いからそうするんだ、という自分の中の「誤解」を受け容れられるようになると、必要以上に「垂直」の関係にこだわらなくても済むようになります。
今の流れで言うと、男性を懲らしめて優位に立とうとしている女性像が目に入ってくる機会が増えています。
自分の中の弱さを受け容れて、他者の弱さを受け容れてはじめて自分の強さと他者の強さが見えてくるのかもしれません。
私は強がりなタイプで、強くもないのに強い自分を取り繕おうとして来た時期がたくさんありました。
でも「あ、みんな弱っちいんだ」、そう思ったら無理やり強がる必要なんてないな、と感じることができました。
あの人もこの人も、そして私自身も「弱い」ところがある、普通の人間です。
みんなが「普通」、その一方でみんなが「特別」。
「垂直」より「水平」が今の私には心地良い。
弱い人同士、支え合うから面白い。
そこで強い何かが生まれる場合もあるから面白い。
強い人だけしかいなかったら、この地球はどんな星になっていたんでしょう。
真の平和な星になっていたのでしょうか。
「一見」強い人もいて、弱い人もいて、それぞれに強いところもあって、弱いところもあって、
それぞれがそれぞれに支え合って、何かの機能を果たしているんじゃないでしょうか。
大きな一つの「目的」のために。
どんなに強い人だって、決して一人では生きていけないのが私たちの定めです。
「孤立」という言葉がありますが、エネルギー的にはありえません、どこかで誰かと何かと繋がっているから。
「私は一人ぼっちだ。誰も味方はいない」と思っても。
頭の中に浮かんでくる意識とハートの真ん中にいる意識は別物であることがほとんどです。
頭のごく一部で考えた物事を「すべて」「絶対的真理」と捉える必要はありませんね。
頭を柔らかくすればハートも柔らかくなります、そして生き方も。
みんな行ったり来たりの人生です、強いだけの人生も弱いだけの人生もありません。
行ったり来たり、強かったり弱かったり。
その状態を楽しみながら人生の喜びをかみしめる。
そして気づいたら旅立つのです、その時が来たら。
「ああ、弱っちい自分の人生も悪くなかったな」って。
自分を愛する秘訣なのかもしれませんね、自分の「弱さ」を抱きしめて生きることが。