素晴らしい墓地公園、一言感激しました。
主人の父親が亡くなったため、今墓地を探しています。
故人の希望は都内の共同墓地。
義母の意向で候補地は二転三転。
正直私はまったく興味がないので、主人に付き添い、けれどまったく部外者感覚での見学です。
私たちの家の近くの、ある宗派のお寺さん二軒を見学。
その後、家のすぐそばの海に面した墓地公園を見学。
私は関係ないけれど一目で気に入りました、墓地公園。
どんな宗派のお家も関係なく、墓地を均等区分で活用しています。
墓石は多分色のバリエーションだけ。高さもなく、卒塔婆もありません。
その奥に「植林墓地」というのがあって、墓石の代わりに樹林が墓標の代わりなんだとか。
全体的に感じたのは、本当に公園なんだ、ということ。
卒塔婆がカタカタ鳴る「怖い」感じゼロ。
敷地の奥にはパラソルつきのガーデンテーブルみたいなのも設置され、何より小鳥がさえずりまくり。
「波動高いな」、直感的にそう感じました。
最初にみたお寺さんはいかにもお寺さん、いかにも墓地という感じ。
好みの問題なんでしょうね、完璧。そういうタイプが好みという方もいらっしゃると思います。
私は個人的に自分が死んだら海洋散骨を希望していますが、もしそれだといろいろと大変なようなら、あの植樹墓地がいいな、と。
亡くなってからのことは、遺った人たちに基本お任せ。
もしも生前に希望を出せるのなら、という条件付きで、きょうの植樹墓地はもしかしたら私の眠る場所 ? と感じました。
実際にはそこに眠るわけではありませんけど。
私は元々主人の実家のお墓に入るつもりはなくて、だからと言って何かのこだわりがあるわけでもなくて、愛りす・ぴぴと愛猫・ぴぴ麿、そして海・かいが海洋散骨だったので、どうやら人間にも同じ考え方があるらしいということで海洋散骨かな、と感じていました。
けれどきょう、ああいうオープンな感じの墓地公園だったらそれでもいいのかな、と。
宗派に関係なし、というところが最大のお気に入り。
キリスト教徒の方も仏教徒も、もしかしたらその他の宗教の方もみんなおんなじスペースで横並びでそのお骨がおさめられている、というのはなんともさわやかな感じがしました。
さらに植樹墓地だと墓石もまた誰々のお墓みたいな明記も必要なし、とのこと。
これって、私たちの魂の本来の姿に近いと思いませんか。
墓地探しなんて興味ないしつまらないな、と思っていましたが、素敵な発見楽しめました。
亡き義父の導きなのかもしれませんね。
私はこの街が大好きなんです。
けれどできれば将来的にはアジアのどこかリゾート地に移り住みたいと思っています。
でももしかしたら今いるこの場所が私の居場所であり、死に場所なのかもしれないな、とも感じました。
ま、それも悪くないかな。
今いる場所の「素敵」が増えたその事実が「素敵」 !