子供の頃、我が家には結構な数の動物がいて、と言ってもその主は小鳥だったことが多いんですけど、小鳥が亡くなるとお庭に埋めました。
土に還れ、との願いがあったのでしょうね、自分では意識していなかったけれど。
小鳥の肉体は土に還るけれど、その魂は ? 精霊は ?
と考えてみたら、もしかして人も土に還るのではないかと。肉体ではなく、その魂の行先です。
私たちは天国というと、どこか空の向こうの高いところにあるような感覚をもっているけれど、
確か地球の真ん中に理想郷があるって言ってた人たちがいるはず。そう思って調べてみました。
アガルタという名前がそれに相当するようです。
また沖縄にはニライカナイ信仰というのがあって、魂はやはり海の深い底に向かうという考え方があるんだとか。
深く探求できていないのであくまでの今の私の感覚です、沖縄こそ「アニミズム」の考え方が定着している土地。
すべてのものに霊魂が宿る、という日本独自の「八百万の神」的考え方です。
「アニミズム」が原始的宗教の意味合いを持ち、さらに一神教が進んだ形の信仰としているは確かキリスト教などではそう捉えていたはず。
キリスト教は言うまでもなく「天国と地獄」の概念がベースにあって、天国とは神に近いところ、あるいは神そのもののことを言い、高いところにいる、という概念をもっている、とどこかで読んだ記憶があります。
キリスト教の「祈る」は天に向けての祈りだと。
一方、「アニミズム」の「祈り」は地に祈りを捧げることが多いのではないでしょうか。
一般に言われる「地母神」信仰などのように。
「アニミズム」と「アニマル」は大いに関係があって、だからこそ動物君には魂が宿っていると考えて動物君を神様同様大切にする文化がたくさんあるのです。
さて。
私は動物教と言えるくらい、けれど信仰ではないけれどスタンスとしては動物君と共にある、という生き方を選択してきました。
ということは、私の意識の中だと、亡くなった人の霊は天にのぼるというより地母神の一部に戻るという考え方の方がシックリくるような気がしました。
実際地球は母なる大地。
その大地の一部に還ることが私たちの旅立ちの意味なのだとしたら。
私たちは地球を歩くことで母なる大地の抱擁を受けている、とこれもどこかで目にしたお話です。
私はこれがやたらシックリきてしまって、つまりお散歩をすると地球がその一歩一歩をハグしてくれると言うのです。
これ、カタカナでいうと「グラウンディング」のこと。
地に足をつけて生きるって、もしかしたら地球の内部に住んでいるたくさんの精霊や守護霊と言われるような存在たちと繋がりあいながら生きる、ということなのかもしれませんね。
どちらが良いとか正しいとかではなく、私には「アニミズム」の方が断然シックリ来るので、もしかしたら今「地に足ついたよ」と誰かが伝えてくれているのかな、なんて感じました。
マンションなどで低層階に住んだ方が、体調バランスが良くなる、という考え方をしている人たちもいます。
自分なりのベスト、見つかって来たかもしれません。
ちなみに私は人より背が小さく、今住んでいるお部屋は「二階」です。
そんな私が上ばかり視ていたって仕方ない、地面にひたすら近い生活の方が私には合ってるんだ。
だから毎日愛犬・華実と一時間強のお散歩をさせてもらっているのですね。
地面が私にとっての繋がりの接点だったから。
私、下半身が太いんです、ずっと嫌だった、すごいコンプレックスでした。
でもそういうことだったんですね。すべては必然、最高善。
あなたのベストはあなたにしかわかりません。ご自分の特徴、一回おさらいしてみると、新たな発見、たくさんあるかもしれませんね。
※ 追記
当エッセイを書き終えたためでしょうか、自分の源に繋がった、というメッセージが浮かんできました。
自分自身に繋がること = 自分の源との繋がり なのでしょうか。