ベランダでお花をいじっている時に、なんと、アクセサリーのネック・チェーンが思いっきり切れてしまいました。
気にいっているアクセサリーだし、ベンダント・トップには「浄化」的意味合いのあるものだし、で一瞬かなり焦りました。
鎖が切れる、で調べてみたら。
人との縁が切れる、変わる、それに伴いお仕事の縁も変わる、という、嬉しいメッセージなんだとか。
鎖が切れて哀しい場合と、解放された気分で良い気持ちになる場合と、それぞれで意味は変わるんだそうです。
それまで鎖に縛られていた感覚があって、それが外れて解き放さたれる感覚なら、すべてOK ! のありがたいサインらしいのです。私の場合はこちら。なんか全身を鎖でグルグル巻きにされていた感覚が浮かび上がっていたんです。
さらに浮かんできました、カルマの解消。
カルマってあまり良い意味で使われないものなんですけど、最近思うんです、でもカルマって人生の課題という意味で、とりたてて悪いことと思う必要はないんじゃないかな、って。
カルマあり、ダルマあり。両方のバランス。
ダルマだけの人生って現実的にはあり得ないのではないでしょうか。
あの世にいってからもカルマに縛られるという意味合いでカルマを嫌悪する考え方もあるようですが、あの世のことよりこちらのことじゃない ? が今の私の正直な気持ちです。
人生の課題がハードルのように一つ一つ目の前にあらわれて来るのなら、障害物競争みたいにそれを一つ一つ丁寧にクリアすればいいんじゃないでしょうか。
自分の蒔いた種は自分で刈り取る。
カルマってそういう性質のもので、ある意味収穫ですよね。だったらその収穫を楽しんじゃえばいいんじゃないのかしら。
でネック・チェーンはそのカルマ、どのカルマかはわからない 笑「その」カルマが一つ無事終了したよ、クリアできたよ、おめでとうの意味を私に伝えてくれたんだな、と感激もひとしおです。
不思議なものですよね、以前の私だったらこんな風に考えられなかった。
浄化のためのアクセサリーが壊れたということは、何か不吉なことの予兆じゃないかしら、とそう受け止めた気がするんです。
これって病気の診立てとかにも言えることかもしれませんよね。
診断するその人の価値観によって、目の前の現実が「良い方向のサイン」とも「悪い方向のサイン」とも取れてしまうはずですから。
すべてその人の価値観で。
その事実に気づき始めたのはここ三年くらい前のことです。
以前私は浄化のためのブレスレットをいくつも身に着けていて、そのブレスのヒモが切れた時に、ある専門家の方に相談したら「すごく悪いことが起きる前兆だったんですよ、ブレスがそれを引き受けてくれたんです。早く次のブレスを買った方がいいですよ」と言われたんです。
当時は言われるままに新たなブレスを調達しましたけど、今なら、「えっ、不吉なことと思えることはもう起きなくなったよ、というサインでしょ」と切り返せる自分がいます。
お蔭さまでパワー・ストーンはすべて卒業させてもらっていて、唯一今までしていたペンダント・トップのデザインが気にいっていたので「浄化のため」というより単純にアクセサリーとして活用させてもらっていました。それでもいろいろなものを浄化してくれていたのかもしれませんね。
そう、すべてはその人の価値観。
私たちが認識している現実はいくつもの側面からみられるうちの一つに過ぎないのかもしれません。その、どこの側面にフォーカスするか、で人生の彩りは180度変わってしまいます。
無理やりポジティブは卒業したけれど、不安と恐れに必要以上にフォーカスすることはなくなりました。
ご縁の解消&新たなご縁のはじまり。
「手渡し」と「受け取り」の循環ルートがきちんと稼働しはじめたサインだったのですね、きっと。
今、当エッセイをプリント・アウトしているんですけど、左手の手首がまたまた痛み始めました。
前エッセイでの「受け取り」「受容」のチャンス到来というのは確実のようです。
こういう時の勢いは、大事にしようっと。収穫の時期なんでしょうか。