語源を調べてみたら「独り法師」というものが見つかりました。
特定の宗教や団体から離れて、一人あてもなくさまよう様、のような意味合いがあるんだそうです。
頼る存在がない。
天涯孤独。
などなど、一見淋しさを伴う説明がたくさん書かれていました。
少し頭を切り替えてみると。
特定の宗教に属していたお坊さんがその教団から離れて、自分の道を歩き出したということなのかな、と。
頼る存在がない、ということは誰かに頼らなくても生きていける段階に入ったという祝福の意味があるのかな。
天涯孤独。身寄りがいない。身を寄せる場がない、身を寄せる必要がなくなった。
そのお坊さんは自立の道を歩き始めたということなのではないでしょうか。
そういう段階に入った、その状態を「独り法師」というのかもしれないですよね。
一人ぽっち、淋しくて淋しくていたたまれない。
けれど淋しさを充分に味わえる時が巡って来たということなのかもしれません。
淋しさを味わい尽くせば、次に喜びや幸福感に満たされる時が巡ってくるのではないでしょうか。
未来永劫、ずっと淋しさが続くなんてことはなく。
さらに生きていればさまざまなご縁が運ばれてくるのではないでしょうか。
今までいた教団はグルやマスターがいて自分を導いてくれていたけれど、いよいよ自分は自由の身だ、さぁ、自立の道を歩き始めるぞ、自分自身の道だ、と気合の入っている状態なのかもしれないのに、見る人が見れば、あの人は一人ぽっちでかわいそうだ、心もとない感じがする、と感じることもあるということなのでしょう。
ひとりぼっち。
ひとり法師。
なんだっていいじゃない、一人を味わうという体験の時なんだから。
こうやって一つの言葉をいろいろな側面で視ていくのってものすごく楽しいです。
私たちの人生は万華鏡のように常に形が変わって外にあらわれているもの。
それを横から視る人、縦から視る人、ななめから視る人、後ろから視る人、前から視る人。
視る方向によっても、またその人の色眼鏡によってもまったく視え方は異なってきます。
それに優先順位をつけたり、善悪のジャッジをしたり、私たちはそんなことを楽しんで生きてきました。
それはそれで楽しいことかもしれないし、体験、という意味では貴重なものなのかもしれません。
何がいいたいのかと言うと、人の体験はそれぞれなので感じ方もそれぞれ。
その、それぞれのすべてが同じように尊重されるのがこの地球の魅力なんだよね、きっと、ということ。
ひとり法師。
なんか、とても素敵な言葉だな。
無限の可能性が感じられます、この単語の中に。
前進する時のいいようのない不安と、けれどどんなことが起きるかわからないなんとも心が高揚する気分と。
あなたはどんな風に感じますか。
自分のフィーリング、大切にしたいな。
あなたにはあなたのフィーリングがあって、それも自分のフィーリングと同じだけ大切なもので。
それがどこかで触れ合うことも素敵だし、たった一人でハートに向き合っているのも素敵だし。
すべてが素敵。
素敵の集合体、それが地球。