このテーマ、お話しているかな、と思ったのですが、まだのようですね。
等身大で生きる。すごく大切なことではないでしょうか。
例えば、自分を大きく見せようとする意識は心理学の考え方で視ると「誇大妄想」になり、
一方、自分を小さく見せようとする意識は「被害妄想」になるんだとか。
この意識、表裏一体です、そもそもは同じエネルギーです。
さて、自分を大きく見せる生き方と言うとどんな感じなのでしょうか。
もしかしたらカルトの教祖さまなどはこの傾向が多いかもしれません。
ビジネス的にみると、例えば自己啓発のセミナー・ティーチャーとかスピリチュアル系もそうでしょうか、たまにショップ・オーナーさんとか、あとは医師、獣医師などにもその傾向の方はいらっしゃるかもしれません。
もちろんすべての人がそうだ、という意味ではありません。またある程度の誇大妄想はその方自身のモチベーションに繋がることもあるかもしれませんから、良い塩梅であればそれもその人の強みになるのかもしれませんね。
トラブルが発生しやすいのは、極端に走った場合でしょうか。
被害妄想傾向が極度に強い人はそれらの「教祖的リーダー」の信者さんとして存在する関係性に発展するケースもなくはありません。
が。
実は誇大妄想傾向の「リーダー」さんは過去被害妄想系の信者さんの一人だった経験を持つことは往々にして考えられます、なぜならそもそもは同じエネルギーだからです。
例えばたくさんのセミナーに参加した方が、今度は立場を変えてセミナーを主催する側に変わる。
良い悪いではなく、一般的事実として。何かのキッカケでエネルギーの裏表の反転が起きたケースのお話です。
私の父はすでに他界していますが、晩年躁鬱病で苦しみました。
はじめにウツが出ました、そしてある時突然躁状態が訪れ、私たち家族ははじめ何が起きたのかまったく理解できませんでした。
その時に知ったのは、ウツが深いとソウも大きいという山と谷の法則です。主治医の先生の話では、ソウとウツのバイオリズムがあって、お薬でその振幅の幅というか、落差を調整する、というようなことでした。
当時、まったくその手のことに疎かったので、先生の言葉をウノミにしてしまいましたが、本来なら、もう少し異なるケア方法が考えられたかもしれません。時、すでに遅し、ですけど。
少し脱線しました。「誇大妄想」の傾向が強い人は、ある時は「被害妄想」の傾向も強くなる、ということをお伝えしかったんです。またその逆もしかり。
その「誇大妄想」と「被害妄想」の大元の要因は何かというと、「自己否定」であり、「自己乖離」だったりする、というのがこれもまた心理学的に捉えるとそうなるよ、というお話です。
自己否定、というのは、自分の価値を本当の自分より低く視てしまう心の傾向のことを言います。
つまり「等身大」の自分とはどんな自分なのか、を見極め切れていない状態です。
「等身大」の自分の中には、一般的に言われる長所もあれば欠点もある、さらに自分が絶対に見たくない、ものすごいどす黒い感情なども含まれます。
私たち日本人は「良い子」教育の中で育っているため、ついつい自分も「良い子」でいよう、「良い子」だけの自分でいよう、という意識が優先して、「悪い子」の自分、「憎まれっ子、嫌われっ子」の自分はないものとして生きてしまう癖がついています。
するとどうなるか。人によっては強い「誇大妄想」、人によっては強い「被害妄想」が生まれてしまい、「誇大妄想」傾向の強い人は「被害妄想」傾向の強い人を支配したり、コントロールしたり、の関係を生み出してしまうケースがないわけではありません。
が実は、お互いの関係は「共依存」なんです。
その中で循環するエネルギーはお互いに大元となっている感情の「自己否定」だったり「自己乖離」だったりするので、一緒にいても、どちらも「自己肯定」にはなかなか近づけないままになってしまいます。
「等身大」で生きる秘訣はというと「自己肯定」がそのポイントになるのではないでしょうか。「自己肯定」とはありのままのあるがままの自分を受け容れることです。自分を高く視るのではなく、自分の本当の大きさを受け容れる、ということです。
例えば私は、こんな風にちょっとわかった的内容をお話する側面もありますが、その実、結構頑固だったり、負けず嫌いだったり、好き嫌いが激しかったり、思い込みが激しかったり、傲慢だったり、という側面も備わっています。
結構ダークな面もあるんです 笑。
以前は「聖人君子」的人になれたらいいな、と自分を取り繕ったりしたこともあるんですが、ここ一年くらいでいやいや、私ってすごいイヤなヤツじゃん、大体聖人君子って何よ、みたいなところにたどり着き、はいはい、そうですね、私にはこんなところもあんなところもあって、今まで目を背けてきましたよね、と自分自身に反省の意味もこめて、全部私の一部だ、と受け容れる作業を続けてきました。
するとどうなったか、と言うと、自分で「今の私、誇大妄想モード」「今の私、被害妄想モード」ということを把握できるようになりました。
そうなると自分で真ん中に戻そうと意識を働かせることもできますし、また誇大妄想、あるいは被害妄想になっているということは自己否定、自己乖離が強くなっている、ということだよね、とさらに自分に寄り添うことができやすくなり始めたんです。
つまり自分の真ん中により、戻りやすくなった、というメリットが生まれました。
私は父の影響を受けているのか、元々感情のアップダウンはそれなりに大きい方でした。
ところが自己肯定を進め、等身大の自分らしきものの影がみえて来たお蔭で、アップダウンの大きささえ自分の特徴なんだ、と思えるようになってきました。
アップダウンは大きいんです、けれどそれが元に戻る時間が短くなったり、あるいはアップダウンの大きさからくる自分自身のストレスが少なくなったりしています。「あ、来たのね」たみいな感覚です。必要以上に「平穏でいよう、平安でいよう」と思いすぎることもなくなりました。
こんな感じで、完璧なる「等身大」はなかなか難しいと思いますが、程ほどの「等身大」のコツはみえてきたのかな、という気がしているのがここ最近の流れです。
私たちには自然治癒力という、神秘の力が備わっています。身体だけではなく心にも。
ちょっとしたことでその自然治癒力と仲良しになれるんだな、ということをここ数年で気づかせてもらいました。
このとっておきの宝物のこと、あなたにお伝えできるといいな。していきたいな。が今の私の楽しみの一つになっているようです。
私たちの「等身大」こそ「唯一無二」の素晴らしき光なんですよね、きっと。
誰にも真似できない自分だけの「等身大」。