「密教」と「笑い」

先月、主人の父親、私にしてみれば義父が亡くなり、その葬儀に参列しました。

 

主人の実家は檀家ではないのですがご近所さんということで真言密教のお坊さんを招いての葬儀になりました。

 

私は以前からどうやら「密教」と何らかの因縁があるのでは、と感じていたため、この葬儀に参列することで何かの封印が解かれるような気がしていて、実はそのこと自体は楽しみでした。

 

義父は今年に入ってちょっとしたことで尻もちをつき、仙骨を痛め、そのまま入院。すぐさま寝たきりの生活になってしまいました。旅立ちの二日前まで意識がハッキリしていて、私が最後のお見舞いに行った時も筋力が弱り言葉はしゃべれなくなっていたのですが、私にはっきりと伝えてきたのです。もう何も食べたくない、もうリハビリはいらない、お迎えが来ているんだ、そこにね、と天井をさしながら身振り手振りで一生懸命に。

 

そういう状況だったので、もちろんお別れが淋しくないわけはなかったのですが、それでも義父はホッとしているだろうな、とそんな気持ちで私は一連のセレモニー参加させてもらっていた、というのが本当のところです。

 

葬儀場に入った時も、義父から、「佐智子、みんなにつきやってくれや」というメッセージが届き、義父自身も旅立ちを自覚し、さらにその場の状況もすべて把握しているんだな、と感じました。

 

生まれてはじめて葬儀場に泊まりました。

以前の私だったら信じられないことですが、もし万が一迷った霊がいるとしても、私たちに悪さをするはずはない、彼らはただ淋しいだけだから。もし、何らかのアプローチがあったらお話を聞いて、安心して天国に還っていただこうとそんなことを思っていました。

 

何も起こらず。

 

新しい葬儀場だったのでお風呂などもしっかりしていて、ちょっとしたホテル感覚です。

 

スゴイ体験をさせてもらいました、義父のお蔭です。

 

葬儀を追え、およそ二週間、きょうはじめて私の「封印」が解かれました。

なんだと思いますか。

 

きのうのエッセイに関係あり、です、それは「笑いの封印」でした。

私は元々セロトニンの分泌されにくい脳を選んでこの世に生を授かりました。

もしかしたら生まれてから、自分で急激に押し込めたのかもしれませんが、私は笑うことを自分に抑圧し続けていたのです。

 

「笑顔」は得意なんですよ、愛着障害ですから。

なんか、こう書くと哀しい人みたいですけど、真実です。

愛着障害はほぼセルフで克服、という段階です。

 

ただ「笑う」ことはどうだろうと考えてみたら。

 

小学校の頃、担任の先生に言われたことを想い出しました。

「さっちゃんは笑っていてもすぐに真顔に戻ってしまって。子供らしくもっと笑いつづけていいのよ」と。当時の担任は「大人びている」私を私として捉えていたようです。

 

そう考えると、私はお笑い番組は基本好きではありません、何が面白いんだろう、とさめている自分を感じます。

私の笑いのツボは完璧に人とずれていて、ですから変なところでスイッチが入ったりはするので笑えないわけではないんです、でもやたらめったら笑ったり、笑いを誘うような会話が得意だったり、ということもありません。

 

冷静に考えると、セロトニン、幸福ホルモン系の分泌が苦手な脳と「笑い」との間に大きな関係がありそうな気がします。

 

自分の意思で「笑い」を封印したのか、あるいは前世、何かの因縁によって「笑い」を封印されたのか。

 

その「封印」が解かれるための義父の真言密教での葬儀があったのだと確信しています。

 

きのう、目をつぶっただけで笑いだしている自分に驚きを感じ、同時に、ヤバイ、何かに取り憑かれた、と感じなくはなかったのですが、笑いがカラカラしていたので、つまりジトっとした笑いではなかったのでとり憑かれたとしてもいわゆる「邪悪」なものではなさそうな気がしました。

 

きょうも朝の瞑想ではかなりの「笑い」。

 

で気づいたのです、「笑いの封印が解かれたんだ」と。

 

笑い上手って、免疫力も上がるし、コミュニケーション能力も上がるし、結果生き方上手に繋がるところもありますよね。

 

本来の「笑い力」を取り戻した私に、もしかしたらセロトニン分泌の活性化というプレゼントも来るんじゃないかな、と密かに期待。

脳自体も緩くなりそうです。

 

脳がゆるゆるって、愛犬・華実と愛猫・海・うみの姿そのものなんです、特に華実のゆるゆる加減は最高級レベルじゃないかと感じるほど。

 

あそこまで行くのかな、そう言えばこの間、華実、笑っていました、滅多に笑わないコなんですが、ものすごくいい「笑顔」で私を見守ってくれていました。

 

この一連の流れ、繋がっていそうです。

 

「密教系」との因縁もこれで終了かしら、義父の旅立ちのプレゼント、ものすごくありがたいです。

 

人に好かれよう、人に愛らしい存在だと思われようとして作る「とびっきりの笑顔」ではなく、これ、愛着障害の大きな特徴なんですけどね、おかしい時に心の底から笑える、実は笑い上戸な私が誕生するかもしれません。

 

亡き母は、ものすごい笑い上戸でしたから。

母は哀しくても泣けなくて、その分大笑いをすることで自分を保っていたタイプ。

 

私は泣きたい時には泣いて、笑いたい時には笑って、怒りたい時には怒って。

 

そんな自然な感情表現ができるといいな、そういう自分でいたいな、と思います。

義父からであると同時に、もしかしたら母からのプレゼントなのかもしれないですね。

 

仮面を外して自分らしく生きなさい、という。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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