中毒気質。
勝手に名付けました、中毒症状に陥りやすい人の性格的特徴、気質という意味です。
自分を知る意味で心理的な原因・要因を探ってみまら、やはり、という感じでした、あくまでもそういう原因・要因もある、という意味ですが。
中毒気質の人は、自分を「毒」だと思っているんだそうです、潜在意識の部分で。その「毒」だと思っている意識のエネルギーを体内の有害物質、あるいは有害な生活習慣に投影しているんだとか。
そもそもは自己犠牲の感情です、他者に毒の影響を与えないために、自分が「毒」の部分を引き受けるという気持ち。それと「有毒物質」「有毒な習慣」がエネルギー共鳴して「中毒」を引き起こすんだとか。
この考え方、まったく一般的ではないんですが、もしも自分は依存気質だ、さらに中毒気質だと感じる方は何かのご参考になさっていただいてもいいかもしれませんね。
私は実はこの傾向が強い方です。
以前は「化学物質」的毒物へ意識が過剰反応していました。
さらに何かを始めるとトコトンそれに執着・集中して、他のことができなくなってしまうこともありました。執筆中毒で家事ができなくなることも実際にありました。
依存や中毒の傾向がある、と自分で認めるようになったお蔭なのか、今は化学物質系というか外部からの毒物にはまったくというほど反応を示さなくなりました。
意識の上の「有害な習慣」は、今のところは平気かな、大分緩和された感があります。以前はそれでもお買い物中毒的な要素はかなり日常的にあらわれていました。
私の場合は、ですが自己犠牲を伴わないと人から愛されない、という思い込みが強かったのだろうと自己分析しています。
自分を知る。
自分を理解する。
自分を受け容れる。
このステップで自己肯定が進みます、するとおそらく次第に「中毒」という状態に頼らなくても平気になる日が来ると思います。
もしも思い当るようなら「中毒」あるいは「中毒気質」を毛嫌いしないで、自分の一部として慈しんであげるのはいかがでしょうか。
「中毒気質」と上手に付き合えば集中力に繋がる場合もあります。
また「中毒気質」の存在のお蔭で、自分が自己犠牲モードに入っているかどうかの確認の目安にも繋がるはずです。自己犠牲は言葉を変えれば自己肯定感の少なさによるものですから、あまりにも「中毒」が深刻になっている場合は、自分自身に目を向ける時だよ、とのメッセージが込められていると感じることができるのではないでしょうか。
こう考えるとわかるのですが「中毒気質」は決して「負」だけの存在ではありません。
「中毒ちゃん、今まで無視してごめんね、これからは仲良くしてね」と話しかけると、多分、ですけど私たちの味方になってくれるような気がします。
人間関係と同じ。
ちょっと意地悪だなと思ってもこちらが心を開けば案外いいヤツ、みたいな人って結構いますよね。
嫌だ、と思う私たちの気持ちが相手をよけい奮い立たせてしまうこともありますから、無理のない範囲で、認め、受け容れる、の癖をつけていくとかなり楽になるかもしれません。
もちろん「嫌だ」という感情も大切な感情です。
すべて「自分」の一部、良いも悪いも、長所も欠点も。
そしてすべてが「均等」、フラットな位置づけです。この地球にとって必要な、貴重な一部。
もし今現在、何らかの中毒になっていても、決してご自分を責めないで抱きしめてあげましょう。今はそういう状態が必要なんだ、ということなだけですから。
そのことに気づくことができれば、前進の一歩を踏み出したも同じです。
自分に優しく。
自分を愛して。
なんか、人間って切なくて、すごく愛おしい生き物です、私自身も含めて。
私たちはただ体験するために生きています、その瞬間瞬間の体験はどんなものもすべて美しく輝いています。必ず地球の役に立っています。
たとえ、そう思えなくても。
自分の「生」に誇りをもって。
それが「中毒」からのメッセージみたいです。
「中毒ちゃん」に親近感を感じながら近づいたら、素敵なメッセージを贈ってくれました。