依存気質。
これを逆手にとる方法論がわかりました。
それは依存の対象を「自分自身」とすること。
依存気質は一生依存対象を追い求める傾向にあります。
時にそれが人だったり、食べものだったり、自己啓発などのメソッドだったり、健康法だったり。
例えばアルコール依存症。
アルコール依存を一時的に抜け出したとして、根本の依存気質が治っているでしょうか。
例えばドラッグ依存症。
何回も同じような状況を繰り返してしまうのはなぜでしょう。
依存をいけないものと感じているうちは依存気質は治りません。さらに依存対象が複合的になっていくことも依存症の大きな課題となります。
では依存気質と仲良くする方法は。
依存気質は何かに依存すると「もっともっと」と強く依存を望むのが大きな特徴。
その「もっともっと」を外に求め続ければ一生その人の依存気質は「欠点」となるでしょう。
依存というのはそもそもは愛の代替行為です、愛を欲する私たち人間が愛の代わりにいろいろな対象物を追い求め続ける。
けれど代替行為である以上、根幹の欲求は満たされません。
そもそも愛の枯渇感は一生なくならないのかもしれませんから。
その、「もっともっと」を自分自身のために活用します。
自分を「もっともっと」好きになる。
自分の心を「もっともっと」知る。
自分の気持ちを「もっともっと」理解する。
自分との対話を「もっともっと」楽しむ。
自分とのふれあいを「もっともっと」深める。
自分自身の中に詰まっている宝の山を意識の力で掘り起こすのです。
際限なくわいてくる「愛の渇望」、「もっともっと」の気持ち。
その気持ちを+のエネルギーに活用する方法。
それは依存の対象を外に求めるのではなく、自分自身を掘り下げる方法によって実現するものなのかもしれません。
アルコール依存症は、実は「アルコール」に力を与えてしまっています。
アルコールはアルコールという物質であるに過ぎないのに、自分の気持ちを楽にしてくれる万能薬のポジションに持ち上げてしまったのは、私たち人間の「依存」の感情のエネルギーです。
その「依存」の感情のエネルギーの矛先を向けたものに力がつきます。
自分自身に矛先を向けたらどうなると思いますか。
例えば心身の「自然治癒力」に「依存」の感情のエネルギーの矛先を向けたら、私たちの「自然治癒力」はどんどん働きやすくなって、私たちの心身をより健やかな状態に向けてくれるはずです。
「対象」を外に向けるか内に向けるか、の違い。
この違いこそが人生に大きな違いをもたらしてくれるものなのではないでしょうか。
読書好きは、時にそれが高じて「読書中毒」になります、読書中毒は読書への強い依存欲求のあらわれが形になってあらわれた状態です。
もちろんそれが心を豊かにしてくれることもあるでしょう。
同時にその比率の何割かを自分自身の真ん中と向き合う時間に置き換えたら、情報、知識による心の潤い、安心感と同時に、自分自身の真ん中と繋がった得もいわれぬ充足感を感じることができるかもしれませんね。
私は人はすべて「依存気質」を持ち合わせていると感じています、その自覚がなくても。
その「依存気質」を自分の欠点として改善していこうとするより、自分の財産だと思って活用していった方が、より人生が豊かに、楽しく感じられるような気がしています。
依存気質克服プログラムではなく、依存気質をうまく引き伸ばしていくプログラム。
「あ、今私は自分自身と繋がることに依存している」
その事実に裁きは必要ありません、淡々と粛々とその現実を受け容れる。
自分自身に繋がる方法論の一つとして瞑想があります。
私は自己流なぁんちゃって瞑想を10年近く続けてきました。
時に一日の半分くらいを瞑想のために費やしたこともあります。
まさしく私は瞑想依存なのです、誰がなんと言おうと。
瞑想依存はいけないもの。だからそこから抜け出さなきゃ。
そう思っているうちは瞑想依存のドツボにはまりまくりです。
そうではなく、私は瞑想に依存することで自分との繋がりを深めているんだわ。
依存気質のお蔭ね。
と自分の気質を認め、受け容れることで瞑想とも依存とも上手に付き合えるような気がしています。
依存気質。依存体質。
一般的には「良くない」こととして受け止められていますが、それさえ人生に与えられたGiftだとしたら。思う存分活用しまくっちゃった方が断然お得なのかもしれませんね。
依存気質と依存気質との依存は「共依存」。
お互い自立した者同士の依存は「相互依存」。
「共依存」はお互いにお互いのエネルギーを奪い合い循環します。
「相互依存」はお互いに相手のエネルギーを頼らず、自分自身の愛のエネルギーを循環させます。
「共依存」は愛のエネルギーの増幅には繋がりません、お互いに疲弊感に包まれます。一方「相互依存」は愛のエネルギーの増幅に繋がります。お互いに満足感、至福感に包まれます。
ここで「共依存」をいけないもの、と裁く心の癖に気づきましょう。
なんだっていいんです、「依存」のエネルギーを自分自身の真ん中のために使う。
はじめは「依存気質」たっぷりだったものがある日突然「自立気質」に転換するはず。
「依存」と「自立」のエネルギーは表裏一体です。
「自立したい、自立しなくては」と思いすぎると依存気質優位に傾きます。
「今、私は依存気質優位」と感じれば依存のエネルギーが少しずつ和らぎ、その和らいだ分「自立」エネルギーが膨らんでくれます。
一つポイント。
依存対象を憎まないこと、排除しようとしないこと。
「アルコールはいけないもの。アルコールは絶対に悪」と思うことでさらにアルコール依存にはまっていきます。さらにアルコール依存症にはまっていく自分への徹底攻撃が始まります。
さまざまな依存症克服プログラムがありますが、まずは「依存気質」の事実を認め、受け容れ、抱きしめてあげることによって、セルフ・コントロールがスタートしそうですね。
コントロールって言葉、いけないもののような気がする場合もあったけれど、「調整」という意味でとらえるのなら「バランス」に向けて必要不可欠なもの。
なるほど、私たちは言葉の概念一つとっても、多面的に捉えられる能力を与えているんですね、画一的である必要はまったくなくて。
自分自身で価値観を一つ一つ創造するチャンスをいただいているのが、私たちの命、の意味なのかもしれません。
依存気質を自分自身の未来のためにフル活用していこうと思います。
大切な私たちの資産でした、依存気質も。