きのうの夜、瞑想をしていたら、どうやら主要チャクラがすべて活性化した様子を感じました。
調べてみると「クンダリーニ覚醒」という表現をしている方も多く、ただし私の体験したものが本当にそれであるかどうかはわかりません。
きょうも瞑想をしていたら、昨日ほどではないもののチャクラが活性している様子です。
チャクラというのは、ヨガなどで使われる言葉で体内のエネルギー・センターのようなもの。
主要チャクラというのは7つあって、一番下は座骨付近、そこから仙骨あたり、さらにみぞおちのうらっかわあたり、というように上にあがっていき、頭の百会のあたりまでを直線で繋いだ感じでエネルギーが通り抜けるというのがいわゆる「クンダリーニ覚醒」とされるもの。
ヨガでの解釈だとこんな感じなんですが、エネルギー的にみると、たとえば足の裏からのびたところや逆に頭の上の方にもチャクラが存在すると言われています。ですのでチャクラの解釈も絶対、というものではなさそうです。
こんな風に私の場合いつもながらかなりバクッと解釈していますので詳細を知りたい場合は、ご自身で調べられると楽しいかもしれません。
なぜこのお話をしようかと思ったのかと言うと、こういうことって、結構大げさ ! な情報が多いんです。
ヨガをする人はクンダリーニ覚醒を目指して、マスターと呼ばれるような存在のもとで修業するとか、個人的に覚醒させると、時に気が狂うことがあるとか。
どちらにしてもある種の特別感が感じられませんか。
私の体験が本当にクンダリーニ覚醒であるかどうかはわかりません、もしそうだとしたら、という視点でお話をしますね。
どうやら瞑想を続けていたり、気功を続けていたりすると、自然に活性化するケースもあるようです。
またクンダリーニが覚醒するとヒーリング能力なども開花されるとあることから、多分私の場合もその辺が関係しているのかな、と感じました。
自己流瞑想は10年続けています。
太極拳・レッスンは4年。
ヨガ・レッスンは12年。
ヒーリングの能力が突然開いたのは4年前。
こう書くと結構すごく見えるでしょ、でも全然。
修行レベルでヨガを行っているわけではなくてヨガもどきといえるくらいの( 失礼 !)エクササイズ・レッスンを受けてきただけだし、おまけに身体はガチガチだし、瞑想も椅子にすわったまま呼吸法を繰り返している程度のものだし、太極拳もスポーツクラブでの週一のレッスンだし、まったく素人のお稽古事レベル ! のものばかりです。趣味の範疇です、すべて。
今までもなんとなくそうなのかな、と感じることはあったのですが、昨日の体験は、それより確実性が高いというか、かなりしっかりした体感・体験でした。
私の感覚。
きっと特別なことではないです、ある程度瞑想やヨガを続けていればその時が来れば自然に起こることではないかと。
瞑想における「変性意識」と呼ばれるものも、特別なことではないんだとか。ところがサイトによっては、かなり大騒ぎしているサイトもあったりするんですよね。
ヒーリングもそうです、私は気功のある方法を試してみたら、自然にできてしまった、という体験をさせてもらいました。
ヒーリングにしても、瞑想時の変性意識にしても、チャクラの活性化にしても、「誰か」がつい嬉しくなって大がかりな変化として大げさな情報を流してしまっているということがあるのかもしれません。
誰でもできます、とか誰でもタイミングがくればその状態になります、ではありがたみがないからなのでしょうか。
あるいは私の体験しているものとは全然異なるレベルの神秘体験も存在するのかもしれません。その道の探求者と私の感じているものはレベルの違いが歴然としているとか。
それでもその時が来たら、私に見合ったレベルの何かがもたらされたみたいです。
私にはあのレベルがちょうど良い塩梅。
ここはすごく大切なことだと思うのですが、その変化が訪れたからと言って、自分が一回り大きくなったとか、波動がグンと上昇したとか、何か特別な能力の開花がもたらされたとか、多分そういうことではないのではないかと感じています。少なくとも私レベルにおいては。
確か、お釈迦さまの教えだったか、「神秘体験は誰にでも起こり得るもの、修行によってそれを求めるべきではない」というような内容があったような。
神秘体験そのものは実際に起こるけれど、生きていく上で、それが不可欠なものではないし、ましてそれらが何かに対して「優位性」のあるものではない、とそんな解釈を教えてもらっているのかもしれませんね。
ではなぜヨガ・レッスンが成立するのか。
ヨガを習いたい人がいるから。
なぜ瞑想のワーク・ショップが成立するのか。
瞑想を学びたい人がいるから。
なぜヒーリング能力の開発セミナーが成立するのか。
ヒーリングの仕方を教わりたい人がいるから。
それだけではないでしょうか。
それを「霊性進化」と結びつけて考えてしまうと、結構混乱します、あれ っ ? みたいな感じで。
宗教だってビジネスの時代。
神秘能力の開発だってビジネスとして成立することに何ら不思議はありません。その開発によって開花した能力を何らかのビジネスに活用するのも自然なことなのかもしれません。
だからと言ってそれらによって直接霊性進化にはつながらない。
霊性進化とは、ごく普通の生活の中に、誰の生活の中にも息づいている、まるで空気のようなもの、あるいは呼吸のようなもの。
あまりにも当たり前にそこに存在しているものなので、ましてそれは目に視えないもの、感覚でしかわからないもの、だからそれ自体はビジネスにはなり得ません。究極の捉え方をするのなら、生きて行くそのこと自体が霊性進化の道に他ならないということなのかもしれません。
神秘体験を求めることは = 霊性進化ではないので、神秘体験をお金を払って求めることはできでも霊性進化はお金を払って求めることはできない。
数年前、どこでだったか、どなただったかのお話で明確にそう記されていました。
つまり、神秘体験を探求するスピリチュアルはビジネスとして成立しても、真の霊性進化はお金で買えるものではない、とのお話です。
いろいろな解釈や価値基準があるのでそれが正解 ! という意味ではなく、私にはそのお話が一番シックリきました、そしてそれは今も同じです。
神秘体験、霊能力と霊性進化はまったく別ものという認識です。さらに言うのなら人の数だけ霊性進化のスタイルがあるという認識です。
実際に瞑想を続けていると、それがなぁんちゃって瞑想でも自分の中の意識のゴミが整理されて自分自身のエネルギーがトータル的に「綺麗」になっていくことは私も体験させてもらっています。
ヒーリングの能力が開花したお蔭で、自分自身のメンテ、ケアだけでなく、他の方やペット君のエネルギー調整のお手伝いをさせていただく機会が増えたのも事実です。
だからと言って私の中の「エゴ」がなくなったり、マスター・レベルでの意識覚醒が行われたかと言えば、まったくそんなことはありません。
地道にコツコツ、というかそれしかできないのでその方法で自己肯定、自己統合を行っていったお蔭で、以前よりはエネルギーが少しだけクリアになった部分もあるでしょうし、クライアントさまとのセッション体験を積み重ねさせてもらったお蔭で、もしかしたら少しだけ物知りになった部分もあるでしょう。それによってエネルギー・バランスが少しだけ整えられたリすることも。
そのくらいです、良くも悪くも。それでもアップアップしながらの毎日です。
それが生きる、ってことではないでしょうか。
霊性進化とは、毎瞬毎瞬の積み重ねによって結果的にあらわれるものであって、何々をしたからと言ってすぐにポンと進化したとわかるものではない。それこそ一生続けていく人生の課題なのかもしれません。
良くも悪くも。
話を元に戻します。
私はクンダリーニ覚醒を求めてヨガや瞑想を続けたわけではありません。
が続けていたら、結果的にそのタイミングがやって来てくれた様子です。
ヒーリング能力の開花もおそらく、ですが、瞑想のお蔭だったのかもしれません。
と考えると瞑想を続けて来てラッキーだったな、とは思います。
でも瞑想をするためにワークショップやセミナーに通おうとは思いませんでした。
瞑想歴10年なんてきくと、結構なツワモノレベルを思い浮かべるかもしれませんが、先にお話したように本当に趣味レベルです。
何が言いたいかと言うと。
それでも神秘体験のチャンスはやってくるみたいですよ、ということです。
神秘体験能力開発セミナーのようなものを活用されたい場合はそれらを活用するのもよいでしょうし、けれど私のように手抜きでも、自己流でも、適当でも続ければ何らかの結果は出る。
このことをお伝えしたかったんです。
誰にでも同じような能力が備わっている。
ただし、その人の人生の課題によって、その能力が開花するプロセスと時と開花の状態は変わってくる。
すべてがマイペース。
もしかしたらそんなところなのかもしれませんね。
クンダリーニ覚醒とするのとチャクラの活性化とするのとでは、ものすごく中身が違うようにも受け取れませんか。
現実に私の体験はチャクラ活性なだけでクンダリーニ覚醒ではないのかもしれません。
負け惜しみもあるのかな(笑)、本音を言うのなら「それがどうした」って感じです。
実際には、両者は同じなのかもしれませんね、人によって解釈の仕方が異なることもあるだけで。
きのうのあの体験はきのうだけのもの。
知らないうちにチャクラのバランスが取れていたのかしら、と嬉しくないはずはありません。
だからと言って特別なことだとは思いません、一つだけ感じたのは、私たちの体内にはきちんとエネルギーの自浄装置が備わっているんだ、という事実です。
自然治癒力と同じように、誰にでも備わった聖なる力。
生命の神秘、人体の神秘。そのことはものすごく素晴らしいことだな、と声を大にして言いたい、
体験の優位性ではなく、事実、真実の素晴らしさそのものをお伝えしたい気分です。
私たちの身体ってすごいんだよ、という事実。
エネルギーの自浄装置にスイッチを入れてくれるかもしれないこと、あるいはその状態、それが瞑想です。
瞑想なんて私には無理、と難しく考えないで私のように深呼吸の繰り返しだけでも平気みたいですよ。
瞑想の定義もまちまちですが何かに没頭しているだけで私たちは自然に瞑想状態に入っています。瞑想状態とは、肉体をもちながら大いなる存在の一部を感じている、その状態のことを言うのかもしれません。
自分のエネルギーを調整してくれる装置が体内に装備されていて時間は少しかかるかもしれないけれど、それらをスムーズに働かせる能力を想い出すことができる。
学校では誰も教えてくれなかったこと。
大人になるって案外素敵なことかもしれませんよね、言葉を変えると年を取ること、経験を重ねること。
ふと思ったのは、もしかして動物君って本来はいつもチャクラが活性化しているのでは、と。
チャクラのバランスが取れているのが彼らのデフォルトなのかもしれません。
人間と暮らすことによってチャクラバランスの乱れという状態を甘んじて受け容れてくれている場合もある。
逆に言うと、彼らの調子が良ければ私たちのチャクラ・バランスもそこそこ良い感じだと言えるのではないでしょうか。
彼ら、ペット君は私たちの鏡です、そして魂のパートナーです。
彼らに向き合うことで自分がみえてきます。
チャクラ云々なんて言葉は知らなくても、エネルギーにはバランスが大切、という事実はみえてきますね。
いつでも「基本」はシンプルなんです、きっと。それを難しくして深みにはまる状態を楽しんでいるのが私たち人間という生き物なのかもしれません。
念のため、ですがクンダリーニ覚醒を目指すかどうか、またその手法・方法論はすべて自分の責任で選択すべき内容だと思います。その結果も含めて。自由っておそらくそういうことなのかもしれませんものね。