本日も連投です、明日10日は愛猫・海・かいの月命日。
当エッセイでも何回かお話しています、海・かいは月命日の前に必ずといっていいほど私に大きな「手放し」の機会をプレゼントしてくれるのです。
きょうの手放し。
〇 私は自分の顔やスタイル、声などが大嫌いだと感じていた ⇒ 深層心理、あるいは潜在意識
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私は醜形恐怖症だった ⇒ 醜形恐怖症とはバクッと言うと、自分の外見に対して異常に負の
執着をもっている心の傾向。
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その大元は脅迫症、強迫性障害など。⇒ 私はセロトニン欠乏症傾向
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その結果、私は自意識過剰になることが少なくない。
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一つの対人恐怖症。
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実は私は広場恐怖症でもある。
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人の目が怖くて仕方ない。
とこんな流れです。さらに追い求めてみたらこんなこともわかりました。
〇 私はおそらく生まれた時にへその緒が首に絡んでいた
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両親が他界しているため確認のしようがありません。が、もしそれが本当だとしたら、「魂
レベルでの自己破壊」という、ものすごいテーマを背負ってきた魂だということになります。
これを私流に解釈すると、「自分全否定」の魂です。
それはどういうことかというと、「自分全肯定」が本来のテーマ、その裏テーマとして真逆のエネルギーの「自分全否定」を体験しなければならなかったということ。
いやになっちゃいますよね (苦笑)。
多分、ですが、上記の負のスパイラルは、兄も同じだと感じています。もしかしたら兄の人生のテーマを投影された可能性も考えられます。
私は両親と兄二人、そして私の五人家族の家に生まれました。
両親と長兄はすでに他界、すべてが「突然死」での旅立ちです。
残っている兄と私は、あまり似たところがなく、私は兄が嫌いではありませんが、兄のネガティブな考え方は結構苦手。
冷静に考えてみれば、私自身のネガティブを兄に投影しているだけだということがわかります。
つまり、私は自分のネガティブをずっと受け容れられずにいた、ということです。
上記、負のスパイラルはどちらが先かはわかりませんが、おそらく兄と私の共通項でしょう。
私がそれに気づけた、ということは兄に対する意識も変わるということ。ということは兄自身も変わる可能性かあるということです。
自分全否定を体験して来てそれに気づいたからこそ、自分全肯定のプロセスがうまく流れだしたのですね。
そう考えると「否定」にもきちんと価値があり、その価値は「肯定」と変わらないということ。
同時に「ネガティブ」にもきちんと価値があり、その価値は「ボジティブ」と変わらないということ。
「美醜」も同じ。美も醜さもその価値は同じ。
「脅迫障害」に関する不安も同じ。不安も愛も安心もすべて価値は同じ。
スーパー・ミラクル・キャット海・かいの今月のプレゼントもまたまたスーパー級だということが言えるかもしれません。
いい加減もういいよね、と言いたくなるほど私にとってはつらい体験、同時に大きな喜びの体験をもたらしてくれています。
そのいずれも同価値なんです、ね。
数日前から「自己肯定」のコツがつかみ始めているため、上記の一見重いテーマも、それほどハートにダメージはありません。
っていうか、「出て来てくれたんだね、ありがとう」の気持ちの方が強いかも。
人のココロは変わりますね。その時が来れば。
変わらないものなんて、何一つないんだから。
※ 追記
両親と長兄と海・かいの突然死によって、私は「いかに良く生きるべきか」という課題へのアプローチを作ってもらっていたのだと気づきました。
そしていかに良く、の一つの答えが「自分全肯定」だったということに気づきました。そのパートナーの一人が次兄だったということです。
自分全肯定ってもしかしたら「無条件の愛」の実践かも、と感じました。
私のヒーリングのメインのエネルギーは「無条件の愛」です。「無条件の愛」を知るためには「条件付きの愛 = エゴ」を知らなければなりませんね。
「条件付きの愛 = エゴ」も「無条件の愛」と同価値。
このようにすべての要素が私たちの中に同じ価値でつまっているということなのでしょうか。
一見ネガティブを感じつくしてしまえば、こっちのもの、なのかもしれません。
ということはネガティブから逃げたり、排除しようとしたり、の必然は何一つないということです。