慢心と自信喪失

今朝またまた慢心について浮かんできました。

 

慢心って実は自信がないから出てくるものなんだな、って。

 

私たちは自信があれば、

 

人より優位に立とうとか、

人をおとしめようとか、

自分は特別なんだとか、

 

そういう意識って全然必要なくなるんですよね。

 

慢心というのは、自分を「より」大きく見せようとする心の働きによって出来上がるもの。

 

自信があれば等身大の自分でOK  ! と自分自身にサインを出すことができるんです。だから「人」と比べて自分がどう、なんて関係ない。

 

そっか、慢心が顔を出し始めたら、それは自信喪失のサインでもあるんだ、と思ったら、慢心にもきちんとお役目がある、とまたまた距離感を縮めるキッカケになりました、慢心ちゃんとの。

 

その時にはきちんと「自信」回復のプロセスを選べばいいんだから。

その前にきちんと自信喪失に向き合って。

 

なんか悪くないでしょ、こういう考え方。

無理がないっていうか、これが自然な思考の流れなのかな、って。

 

さらにもう一つ気づいてしまったこと。

 

それは一般的に「覚醒した」「目がさめた」「悟った」と言っている方も実は不安はなくならないんだ、という事実です。

 

覚醒してもなお、不安という感情とはお付き合いしなければならない。

 

ということは。

 

私のような俗人は不安が出て来てあたりまえなんだ、とこちらもココロが軽くなるチャンスへと繋がりました。

 

ここ数年、「目ざめました」的トーンの情報を目にすることが増えたような気がしませんか。そういう方のサイト内容を拝見すると、「うんうん、わかる」とか「キャ~、この人、すごい !」とかたいていの場合、心がそこに響いてくれます。

 

ところが何回かお邪魔しているうちに、「えっ、これってもしかして慢心 ?」とか、「これってもしかしてスピリチュアル・エゴ ?」とか、「これって不安のあらわれ ?」みたいな意識になることも少なくありません。

 

それは私自身に慢心だったり、スピリチュアル・エゴだったり、不安だったり、があらわれている証拠。

同時にその方自身の中でも同じ波動が存在しているケースがほとんどです。

 

たいていの場合、「目ざめました」、でも「不安です」はセットみたい。

 

それが人間なんだな、となんだかホンワリした気分にさせられます。

 

私って屈折してるのかな(笑)。

 

でも以前の私だったらこうは感じられなかった。

屈折も悪くないかもしれません。

 

すべて、表裏一体だということですよね。

 

人って一度「目覚めました」って言っちゃうと後には引けないみたいな意識が働くんです。だからずっと「目覚めた人」モードの情報発信が多くなる。

 

でも必ず「ダウン」もあるんです、「アップダウン」があってあたりまえ。

 

そういう時は、「目覚めても不安はなくならないんだよ、不思議なことにね」みたいに言ってくれると私みたいなタイプは「そっか、そうなんだ」とまたまたそこでその方に対する共感意識が膨らむのにな、と個人的に思ったりするんですね。

 

実はそれが「自己乖離」をしない秘訣なんです、アップもダウンも認める、ということが。

 

〇〇リーダーとか、〇〇マスターと呼ばれる方こそ、「自己乖離しやすい」。

 

その「自己乖離」の部分を心理学用語的にみると「ペルソナ」と言ったりします、「仮面をつけている」といったニュアンスの言葉です。

 

「ペルソナ」は誰にでもあって、良いペルソナもあまり好ましくないペルソナも両方存在します。

 

誰にでもある、ということを受け容れることが「自己乖離」の幅を小さくできるポイントじゃないかな、と感じています。

 

もちろん私にもあるんです、「ペルソナちゃん」。

 

あまり好ましくない「ペルソナ」は「慢心」を生みます、ということはここでも「自信」が大きく関与している、ということなのかもしれません。

 

ただしここで好ましくないと表現しているものも「悪」である、とか「不要なもの」という意味ではありません。すごく大切なこと、私たちの人生において。

 

「ペルソナ」は心理学の中でもかなり一般的な視点で考えられるものです、今度そんなお話も考えてみますね。

 

自信か、自信って、自分の芯から目を離さないってことなのかもしれませんよね。

 

シンプルなことなのに、なぜかこれが難しい。

 

ちなみに自信喪失も自信も価値は同等、フラットな関係のものです。

自信という光が少し足りないか、十分あるか、の違いだけ。

 

逆に大きな自信喪失を感じた時は、光で満たしていけばいいんです、自分の「芯」に、コツコツ、コツコツと。一発逆転を狙わずに。

 

結果を焦り過ぎない、お互いに、ですね。

 

 

 

 

 

 

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