これはそれなりに「スピリチュアル」な情報でのお話ですが、三次元、四次元、五次元などの言葉を目にしたことはないでしょうか。
あえてここでは詳細をご説明しませんが、「今」の私はこう感じています。
三次元だろうと四次元だろうと五次元だろうと、私たちが今ここにいる、ということに
何ら関係はないのではないでしょうか。
通常の肉体レベルは三次元と表現されることが少なくありません。
さらに地球の波動上昇と共にこの次元があがっていく、という考え方があります。
で五次元に対応するにはどうしたらいいのか、あるいはそれがさらに何次元、何次元と上がっていく、そのために〇〇が必要という考え方です。
それってこの世におけるピラミッド構造の発想となんら変わりはないと思うのですがいかがでしょう。
次元は知らないうちに勝手に上がっていきます、多分。
おそらく真の賢者レベルの方があえて「今自分は五次元を超えた、次は〇次元だ」と口にされることはないでしょう。
逆に言うと「〇次元攻略マニュアル」的発想で情報を発信されている方は、おそらく悟っていらっしゃいません、もちろんそれが良い、悪いではなく。
なんでもそうなんですが、おそらく結果的にたどり着くんです、その人にふさわしいスピードで、ふさわしい場所にふさわしいプロセスで。
おそらく、多分が続いているのはなぜ(笑)。
三次元にとどまっている方がいらっしゃるとして、それはその方の人生のシナリオですから、ご本人が気にすることも、また他者ががんばれ、というようなお尻に火をつけるような応援の仕方も必要ないはずです。
もちろん三次元がいけないなんてこともないはず。
今度は、はず、の連続です(笑)。
確か、幽体離脱をして死後の世界にたどり着き、そこから生への帰還を果たしたという女性の書かれた本にこんな内容のことがあったはずです。
その世界は愛にあふれていて、あえて愛という言葉など必要のない世界だった、こちらの世界で他の人と共通認識をもつためにあえて愛という言葉を使うけれど、それはさらに圧倒的な「在る」ものだった。ただ、それだけだった。
絶対的感覚としての愛、という意味なのかもしれませんね。
私たちはどこにいようとどの次元での意識が強くなっていようと、絶対的感覚での「生」を感じることが大切なのではないでしょうか。
そこに数字がついている必然はまったくないのではないかと。数字を付けることによって自分の劣等感や優越感が膨らむということは、今までいやというほど味わってきましたから。数字をつけるということは結果的に分離意識が膨らむ、ということなのかもしれません。
分離意識はなくなりません、天国に還るその時まで。
けれどあえて増やす必要はないのです。
どうやったって意識は分離しているのですから。
その真実は変わりません。
ある一部の方を除く、それが私たちの真実だと思うから。
「今」の私はこう感じていますがあなたはどう思われますか。
今こそグラウンディング。
頭は天に地は足に。
どちらもにつながってはじめて私たちの命のバランスが整うような気がします。
さぁて、もう少ししたら愛犬・華実とお散歩に行ってきます。
満開になった河津桜に逢いに行くため。
華実と私にとって最高、最善のグラウンディング&センタリング方法です。
きのうお話したように、きょう10日は愛猫・海・かいの月命日です。
朝一番の海・かいからのメッセージは。
「三次元的感情の徹底的洗い直し」
というものでした。
ん ? ここに次元発想が出てきますね。この時の次元は「識別」のためでしょうか。
昨日、「恐れを超えて」というエッセイを書かせてもらいました。
あとは何だろう、恐怖、不安、妬み、そねみ、嫉妬心、猜疑心 ?
今まで「ネガティブ」として端っこによけてしまった感情ほど、掘り起しの必要がありそうです。
一つ一つ丁寧に向き合い、抱きしめて自分自身の光としていく、そのために。