「飢餓感」を抱きしめる

受け容れることも力。

 

きのう、そんな言葉を目にしました。

私たちは「力」というと、支配とかコントロールとか、そういう外に向かう行為を認識することが多いのですが、実は「受容」こそが力なんだ、という主旨のお話でした。

 

自分を受け容れる。

相手を受け容れる。

社会を受け容れる。

 

今朝ふと思ったのは、私は自分自身の「飢餓感」を受け容れていなかった。

受け容れる力がなかった、弱かった、ということです。

 

例えば愛への飢餓感、渇望感かもしれませんね。

成功への飢餓感、渇望感。

富への飢餓感、渇望感。

健康への飢餓感、渇望感。

権威・名誉などへの飢餓感、渇望感などなど、でしょうか。

 

以前、私は「成功哲学」を説く、ある著名人のセミナーに行ったことがあります。なんのことはない、私がゴースト・ライターをさせてもらった先生の一人。

「ぜひ、セミナーに来てください」とのお誘いを受け、ご招待かとウキウキして行ったら、しっかり会費を取られたというエピソードつき。

 

セミナーの類ははじめてのこと。以来、あの手のセミナーは一回も行っていません(笑)。

 

すごく場違いな気がしたんです、私がなぜここにいるんだろう、みたいな。

 

参加されている方は、みなさん、成功者のたたずまいです、身に着けているものもそれなりですし、全体の雰囲気も。

 

講師の先生がお話されるたびに拍手の嵐。先生の成功体験にみなさん、うっとりした表情を傾けていました。

 

一人シラッ~~、と本当にいかにも場違い感100%でそこにいる私のことなど、視界に入らないかの様子です。

 

あの時は全然わからなかったんですけど、先ほど「そっか」と。

 

あの会場にいる方は多分社会的成功者と呼ばれる方がほとんどだったのでしょう。

でもその「成功に関する満足感」がないから、きっとああやって何度もセミナーに足を運ばれる。

そしてまたそこで先生の成功体験に刺激を受けて、さらなる成功を目指す。

 

もちろんそれが悪いわけではなく、成功者と呼ばれる多くの方がそういう道を歩まれているのかもしれませんね。

 

そこにあるのは「飢餓感」「渇望感」ですよね、「充足感」「満足感」ではなくて。「もっともっと」「さらにさらに」という成功への意欲。

 

なるほど、これって資本主義社会の原則みたいなもの ?  今在るものよりさらなる拡大を望む。

「飢餓感」「渇望感」こそが「拡大」へのモチベーションになっています、きちんと価値のある、意義のある感情です。

 

ということは。

 

本当は私にも同じ気持ちがあるのに、それを良くないことと抑圧していたから、なんか、ものすごく場違いみたいな気がしていたんだ。

 

深層心理編です、得意の。

 

そうなんです、私は自分の中にある「飢餓感」や「渇望感」をいけないものとしていたんです。受け容れられなかったんです、あの時には。私には力がなくて。

 

私の「飢餓感ちゃん」「渇望感ちゃん」、ごめんね、あなたたちも間違いなく私の一部だわ。

あなた方がいるから「満足感」や「充足感」という喜びも同時に感じられるのだから。

 

今から思いっきり抱きしめます、彼らのこと。

 

よかった、私には力があるんですね、ちゃんと。

 

ということは。

 

良くも悪くも私は資本主義社会のメンバーの一員だ、ということの「受け容れ」も同時にさせてもらえたということではないでしょうか。

 

「良くも悪くも」がポイントかもしれません。

 

その認識をすることで、新たな「資本主義観」を自分の中に構築する機会に恵まれました。その中で自分はどうするのか、がみえてくる兆しなのかもしれません。

 

きょうは3月8日、8は「富かさ」「仕事」「成功」などに関係する数字なんだそうです。

なるほど、こうやってきちんと導いてもらえているのが私たち、一人一人の人生なんですね、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

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