ユニークであること。
ユニークに生きること。
さて、あなたは自分のことをユニークだと思いますか。
ユニークってなんなんでしょう。
小さい頃から私は人と少し違っていて、さらに言うと変わっていて、
なぜ私と同じように感じる人が少ないんだろう、と心の中で「変な自分」を恥じているところがあったみたいです。
視点が違うんです、意識が違うんです。
人がおもしろいと思うことを別に、と感じたり、ほとんどの人が反応しないところで急にスイッチが入ったり。
いつからか、そんな自分を「いけない」とジャッジして、できるだけ人の物差しに合わせようとして生きてきました。
それってもしかしたら「ユニーク」の意味をまちがえていたのではないでしょうか。
ユニークって独特という意味ですよね、多分。
独特って。
あたりまえですよね、だって私たちはみんな一人一人「道なき道」を歩むためにこの地球に命を授かった、ユニークな光なんですもの。
誰一人ユニークじゃない人なんていないんじゃないでしょうか。
私たちの細胞。のぞいたことはないけれど(笑)、でもきっと一つ一つ異なる働きをもっていて、みんなそれぞれユニークに動き回っている、働きまわっている、光り輝いている。
そのすべてがあって、お互いに上手に支え合ってそれで私たちの肉体ができあがっているんじゃないでしょうか。
私たちの命もそれと同じなのではないでしょうか。
私は人と変わっている自分が実は大好きだし、なんで人に合わせなくてはいけないの、という想いもずっと抱えて生きてきました。これは顕在意識。
いやでいやで仕方なかったんです、右へならへ、みたいな感じ方、生き方。
それを装うこと。
それを装っている自分。
ところが深層心理、潜在意識ではきっと「人と違うと攻撃される」「人と違う光を放っているとイジメられる」と考えていたんです。
だから。
ユニークであることは誰かの反感を買うこと、と感じて、自分に仮面をつけて生きて来たんだろうな。
今朝のメッセージ。
「ユニークたれ ! 」
人それぞれ。ベストなんてないし、一般化なんてできない。
もしベストがあるとすれば、それは自分にとってのベストだけ。
他の人に通用しなくても、自分のベストを譲る必要はない、
自分自身のベストという椅子は自分だけの宝。
そこからユニークな光が光り輝きだすんです。
無理やり他者に押し付けようとしなくても。
というか他者に押し付ける必要はないんですよね、きっと。
「ユニーク」をアピールしなくなって、みんな「ユニーク」であるのが当然で、その「ユニーク」さの繋がり、支え合い、響き合いなどは、すべて大いなる源が良い塩梅に最初からストーリーを作ってくれているんでしょうから。
こんな感じで私のエッセイは独り言モードが多くなって来ています。
多分それは、自分自身への語りかけ、お手紙だと思っているから。
自分自身との対話を楽しんでいるものだから。
自分との対話を楽しむためには、まず自分自身の真ん中と繋がることが大切です。
人の目、ではなく、自分自身と。
フォーカスポイントが違ったみたい。
こんなことを言ったら、人はどう思うんだろう。 と頭で考える。
これってあなたの言いたいことと同じ ? と自分自身のハートに問いかける。
そろそろ後者に入ったのかな、私の生き方。
私たちの存在って多分、それ自体が情報なんです。
ユニークに生きること自体が情報発信なんです。
するとその光のネットワークが自然に何かを生み出してくれるんです、さらに大きな、ユニークな光を創造してくれるんです。
「クリエイティヴィティ」