自分自身の権威であれ。
なんとも生意気(笑)なメッセージが浮かんできました。
私たちは自分自身の権威そのものであるという意味です。
権威を外に求める。
自分の権威を他者に使わせる。
実はこれは表裏一体のエネルギーです。
他者との間での「権威」という優位性を感じているにすぎません。
私たちの真ん中にこそ権威はあります、その権威の椅子を他者に明け渡す必要はないのです。
私たち自身の権威とは。
私たちが私たち自身として生きるための「権威」です。
私が「阿部佐智子」として生きるための権威です、この権威は他者から借りるものでもなければ、
他者に貸すものでもなく、自分自身のためだけに使うものです。
阿部佐智子が阿部佐智子として生きる方法として阿部佐智子自身の権威に勝るものはない、ということなのですよね、きっと。
例えばペット君をみてください。
彼らは誰かに自分の権威の席を譲っていますか。
彼らは自分の権威をわざわざ他の動物君のために使っていますか。
動物君の姿を見るとこんなにもはっきりすることが、なぜ私たち自身の中ではあいまいな形になるのでしょう。
それこそが「エゴ」の力です。
「エゴ」と上手に向き合い、上手に共調・協調していける方法論を、自分自身の権威にて見つけ出すことができる。
それが私たち人間に与えられた特権でもあるのではないでしょうか。
この権威は誰にでも備わっているもの。
想い出すか、想い出さないか。
それも自分自身の権威によって決められます。
なかなか素晴らしき光ではないでしょうか、私たちって。
一つ一つの光が宝石の輝きを放っています。みんな異なる輝き、です。
どれ一つムダはありません。どれ一つ不要なものもありません。
みんな、すべて、必要な光ばかり。