自分自身を統合し、同時に自分を開放しようと思ってちょくちょくのぞいていたサイトに違和感が生じ始めました。
ん ?
どうやらそのサイトの大元のエネルギーが日本古来からの宗教の考え方がベースになっていたらしいのです。そのサイト自体には宗教云々の文字もカラーもありません。まるで別なカテゴリーになっています。
宗教の是非などに気が向いた時もありましたが、最近は、ま、別になんでもいっか、くらいの感覚がめばえはじめてきていました。
別にいっか、は私にとっては「解放モード」、良い意味の感覚です。宗教を否定しているのではなく、私なりの受け容れ方。何かに執着している時は、それなりに傾注するか逆にアンチ思考が生まれてくることに気づきはじめてもいたところ。
だからこそ違和感が出て来てくれたみたい。
何かに対する違和感。
これ、すごく大事なメッセージです。
もうあなたにはこの情報は必要ないよ、前進のチャンスだよ、という天からのメッセージ。
ところが日本人の場合、人間関係や縁を大切にしなさいという教えが定着していて、自分の心の変化を「良くないこと」と考えてしまうような思考のクセがついています。
違和感は他でもない「解放」のメッセージなのに、自分が何かいけないことでもしているかのように「切り捨てててはいけない」と自分自身に圧力をかけてしまいます。
私の場合、自分を「開放」しようとあるサイトに到達したのに、そこに流れていたのは「抑圧」のエネルギーだったとやっと気づけたのがついきのう。
言葉では「解放」「統合」と書いてあるのに。やられた~(笑)。
でも私自身のモードが「解放優位」に変わって来てくれたところなので、その違和感をしっかりと感じられたのかもしれません。
前進を目指したのに、抑圧のエネルギーに浸りに行ってたなんて、まるでミイラ取り云々みたいだな、と笑ってしまいました。
笑ってしまえるくらいの距離感でよかった。
そう、これすごく大切。
私たちはちょっと波動が合うな、と思うと急接近してしまうところはありませんか。私は猪突猛進タイプなので、良いと思ったらドップリはまる傾向が強かったんです。
それは私自身の不安が招いていたことによるものという事実に気づきました。
自己統合のワークを進めていくと、いやな感情が露呈してきて辛くなることがある一方で、どんどん自分の真ん中の柱が太くなっていくことを感じることができます。
外に答えを求めなくても、自分の中に答えを見出そうとする心のクセができ始めるんです。
一旦このモードにたどり着くと、たいていの不安は自分自身で処理できるようになります、さらにその時間も徐々に短縮化されていきます。
不安なエネルギーが出て来てしまうのは悪いことではありません。
それを無理やりフタをしたり、ツールをたくさん使ってごまかし続けてしまうことの方が自分自身へのリスクになる。
ここ10数年の自己統合の旅の個人的な一つの結論です。
ミイラ取りちゃん、お疲れさま。
もうミイラを外に取りに行かなくても平気だよ。
もしどうしてもミイラが必要になった時には、自分自身の中のミイラを探り出せばいいんだから。
自己分析をするのなら、そのサイトにたどり着いた時の私はまだ「抑圧」のエネルギーを必要としていたんですね、だから共鳴したんです。
けれどそのサイトに対して「違和感」が生じた。
ということはそのサイトにお邪魔している中で「変容」のエネルギーが流れ出したということ。
その変容をきちんと受け容れなさい、というのが天のメッセージです。
そんなことを感じていたら、そのサイトに書いてあったことが「アンバランス」であることにも気づきました。冷静になればすぐわかることなのにまるで気づきませんでした。
ということは不安を感じていると冷静さを失うことに繋がりかねないということですね。
そう、こうやって意識はどんどん変化します、前進します。
すべてはタイミング。
天からのメッセージはすべて「ベスト」。
後ろを振り向かなくてももう平気。安心して前だけをみて進みなさい。
それも今回の大切なメッセージの一つなんですね、きっと。