「解放」と「抑圧」。
最近の私の心の指標。
この行為は私を解放し幸せにしてくれるものなのか、あるいは抑圧するものなのか。
例えば本。
今、自己流断捨離をしているのですが、「この本を読むことで私は心が解放されるの ?
それとも抑圧されるの ?」
この基準で本の処分を決めています。
例えば人間関係。
ある方からメールが来る。
そのメールを読むと心がホクホクするのか、何かに反応していやな気持ちになるのか。
原稿内容ではありません、その方自身のエネルギーを感じ取るのです。
字面は美しくてもあまり気持ちの良くないメール。
一方、大したことは書いてなくてもなんだか幸せな気持ちが伝わってくるようなメール。
この感覚を今まで否定することもありましたが、ここにきて一気に感情は変わりました。
自分の直感を信じろ、と。
初対面の方も、「なんか、いい感じ」、一方、「なんか違うかな」、この感覚はほとんど外れることはありません。
今までは、頭が考えてしまっていたのです、「このメールだけで判断するのはエゴじゃない ? 」とか「第一印象だけで人を決めつけるのってエゴじゃない ?」と。
エゴは誰にでもあるものです。けれど私はエゴを悪いものとして、できるだけエゴではない自分を貫きたかった。
それこそかがエゴだったのに。
直感って実は宇宙からのお手紙なんだろうな、と。
それはあなたに合ってるよ、それはちょっと違うよ、という、「イエス」「ノー」カードのようなものが直感となってあらわれているだけ。
「イエス」も「ノー」も同じ価値。
「イエス」が良くて「ノー」が悪いという思い込みこそが私自身のエゴを膨らませていました。
そんな風に心の変化は徐々に訪れ、今年に入って加速度的にその傾向が強まり続けています。
何かを食べる時もそうです。
「これを食べると私の心は解放されるの ? 」と自分自身に必ず聞きます。そして「イエス」の答えが返って来たものだけ食べるようにしています。
個人的に。
この方法はものすごく簡単でものすごく心がスッキリします。
迷いがあることも楽しいけれど、迷いのない「お手紙」はありがたくちょうだいしようと。
人生を複雑にしていたのは「頭」でした、私の場合。
「心」、あるいは「魂」は、よりシンプルに、よりソフトに、よりあたたかく私に真実を伝えてくれます。
もちろん「頭」も大切。
けれど頭でっかちは卒業です。
その辺のバランスも多分直感が教えてくれるんじゃないかと。
直感は、私の中の大親友。
頭による判断、エゴはお友達だけれど、私を迷わす名人。
どちらもあって当然。
どちらもあたたかく受け容れられるようになると、ますます「解放」スピードは増すことでしょう。
楽しく、楽しく。
いよいよ、自分の意思と直感で「楽しさ」を選択できる時代に入ったみたいですよ。
「解放」、血管が緩みます、
「抑圧」、血管が収縮します。
弛緩も緊張も大事。
けれどあえて「緊張」を選択する必要はなくなりました。
生きていればおのずと「緊張」を感じるものだから。
すべては、バランス。