がんばっている人に「がんばれ」と言ってはいけない。
そもそも「がんばれ」とは上から目線なのだから。
そんな言葉を聞いたことはありませんか。
少し視点を変えて、心理学チックにみた時のお話をさせてもらいますね。
人に対して日常的に「がんばれ」という言葉を使う人は
◎ 子供の時に人、特に大人から「がんばれ、もっとがんばれ」と言われたことがある人
◎ 自分自身に対して「がんばれ、もっとがんばれ」と言っていることに気づかない人
というように考えられます。この時の「がんばれ」はスポーツ観戦時などの「がんばれ」とは異なります。
前者の場合、「がんばれ、もっとがんばれ」は使い方によっては、言われた子供の自尊心を傷つけるケースに繋がることがあるということを周りの大人たちが知らなかった、ということでしょう。
「がんばれ」は一見やる気を鼓舞する、力のある言葉のように感じられます。一方、「ダメだよ、今のままじゃ。もっとがんばらなくちゃダメ」という、相手否定、つまり言われた人にしてみれば「ダメなんだ、今のままの自分じゃ」と自己否定の感情につながってしまうこともある言葉なのです。自己否定の感情に結び付いてしまった人の場合、
◎ 誰かに対して「がんばれ」という言葉を多用しやすくなる
また同時に
◎ 自分自身に対する「がんばれ」という意味合いで他者に向けて「がんばれ」と言ってしまう
という癖がつきやすくなります。
そういう癖がついてしまうと、その、そもそもの感情が「自己否定」ですから、たとえ相手の人に応援の意味で「がんばれ」と言っても、その人自身が感じた「自己否定エネルギー」を相手に投げつけてしまうことになります。すると、言われた相手の人も、「なんだか、やな感じ。上から目線ですか」のように、素直に「ありがとう、がんばるね」と感じられなくなってしまうことが少なくありません。
言葉を発するということは、その言葉の意味合いだけではなく、発した側のその言葉に対する感情のエネルギーが含まれる、ということなんですね。
そのため、同じ言葉であっても「嬉しい、そう言ってくれて」と感じられることもあれば、「何か、カチンと来るんですけど」と感じてしまうこともあるというわけです。
もちろん言われた人の過去のエネルギーも関係してきます。
小さい頃から追い立てられるように「がんばれ、がんばれ」と言われ続けた人は大人になっても人から「がんばれ」と言われると、小さい頃の記憶のエネルギーが反応して、「うるさいな、がんばってるよ」という気持ちになってしまうこともあります。
逆に、小さい頃からベストのタイミングで「ほら、できるよ、がんばって」と言われて成功体験を積み上げてこれた場合は、「ありがとう、うん、がんばってみる」と素直にその言葉の意味だけを受け取ることができます。
同じ「がんばって」でもその言葉をいう人の過去の記憶と、言われる人の過去の記憶によってまったくその効果が変わってしまうということです。
もしもあなたに「がんばって」という言葉をことあるごとに投げかけてくる人がいたとして、あなた自身、あまり気持ちが良くない場合は、お互いに「がんばって」に関してあまり気持ちの良くない体験をしてきたのかもしれません。
そういう相手に対して「もうだまっててよ、うるさいなぁ」という意識を投げかけるより、「ありがとう、あなたもそのままで十分よ、がんばらなくても平気だよ」という意識を投げかけた方が、相手にとっても自分にとっても「気持ちいい」結果につながりやすいことがおわかりいただけるでしょうか。
その人は一見上から目線のように思えても、実は自分を肯定できないでずっと自己否定を続けてきた淋しいがり屋さんです。上から目線どころか自分に自信がもてなくて自分を大きく見せようと、ついつい「がんばって」と言っているだけなのかもしれません。
意識は巡り巡って自分に戻ってきます。計算をして、あえて心にもない意識を抱こうとがんばる必要はありませんが、なんとなくそうかも、と感じられる場合は、このお話を想い出していただくのも良いかもしれませんね。
実はこのテーマ、実際私が「がんばれ」と言われて違和感を感じたのでなぜなんだろうと思い、自分に向き合って考えた結果浮かんできたものです。
私の場合は、子供の時からがんばることで周りの大人に認めてもらおうと思い続けてきたようなので「がんばれ」にはあまり良い想い出がないのではないかと自己分析をしました。
ようなので、としているのは、私の深層心理での意識のことなので、自分自身では気がつくことのなかった過去の思考癖のようなものだからです。
「努力、根性」を美徳としてがんばり続けて来た結果、「私は人よりたくさんがんばらないと誰かに認めてもらえないんだ」という自己否定感情を積み上げて来てしまったようなのです。ここから、
もういいんだ、努力しなくても、根性を出さなくても。
という意識の解放へと繋がりました。それでも今後、がんばり癖がすっかりなくなるわけではないかもしれません。でも、がんばってもがんばらなくてもどちらでも自分の気持ちいい方を選べばいいんだ、というような新たな意識が芽生えました。
たった「一言」の「がんばれ」にも、大きな気づきの種が含まれていたんですよね。
私たちに投げかけられている言葉は実はすべて「愛」なのです。その「愛」の本質を自分で見つけていく習慣をつけると、たいていのことはすんなりと心におさまるようになっています。
そうやって、自己否定のエネルギーを自己肯定のエネルギーに転換していくことができます、自分自身で。
気持ち一つですね、どんな大きな変容も、ほんのちょこっとの自分の意識がスタートになりますから、やはり自分の気持ちを大切に愛おしみたいな、と当記事執筆は自分への愛の再確認作業へとつながりました。