動物君の旅立ち

 

きょう愛犬・華実とのお散歩の時に、華実のお友達わんこがつい先日天国に還ったことを知りました。華実の一歳上のわんこ君です、華実とは大の仲良しでした。なんでも一か月前に急に体調が悪くなり、病院に駆け込んだところ、心臓の周りにたくさんの血が集まっているとかで、血を一度抜いたんだとか。

 

獣医さんの診立ては「ガンかもしれない」とのこと。飼い主さんは愛犬ちゃんが元気になった様子を見て安心し、そのまま家で普通の生活をしていたそうです。その一か月後、真夜中家族に見守られながら眠るように天国に還っていたというお話でした。旅立ちのその日、なんとなく元気がない素振りは見せたものの、最期まで苦しむその様子は見られなかったと。亡くなるその前の日に、大好きだった焼き芋を食べてからの旅立ちだったようです。

 

そのわんちゃんの本当の苦しみは私にはわかりません。けれど愛のある、穏やかな旅立ちに思わず「さすが」と言いたくなるような、そんな気分です。

 

動物君の旅立ちには愛があります。愛しかありません。本当は私たち人間の旅立ちも愛に満ちているはずなのですが、どうしても人間的感覚で、見送る立場の人の思いが優先されるため、哀しみだったり、嘆きだったり、重いいたみが残ってしまいがちになるのかもしれません。

 

このわんこ君の旅立ちのお話を聞いて、愛猫・海・かいの旅立ちのことを想い出しました。海・かいも突然死だったため、私の心はあの時、ぽっかり穴が開いた状態でした。あまりにも淋しくてつらくて、アニマル・コミュニケーターをしている知人に海・かいとのコンタクトをお願いしました。当時、私自身がコミュニケイトできるとは思ってもいなかったのです。

 

その時の言葉に、「海・かい君は本当は一年早くに旅立つ予定だったけれど、楽しくて最後の一年をオーバーしてしまったと言ってますよ」というものがありました。

 

その言葉を聴いて心が浮かれたのは言うまでもありません。だって海・かいは楽しすぎて長居をしちゃったニャ、と言ってくれたというのですから。わが家は海・かいにとって居心地がよかったのね、決してつらい旅立ちではなかったのね、と。

 

が。

 

きょう感じたのは、その言葉は本当だろうか、ということです。もちろんコミュニケーターさんがウソをついたというわけではなく、けれど誰もが神さまとの約束通りに天国に還っていくんだとしたら、一年もの長居って、宇宙レベルでの計画が大きく狂ってしまうのではないかと。

 

宗教の違い、文化の違いなどによって死生観というのはさまざまです。どれが正しくてどれがまちがっているということはありません、すべてがその人にとっての正解です。

 

私自身は現時点では、人も動物君も植物も、みぃんな神さまとの約束通りに天国に還る、という考え方がシックリ来ています。確かそれを「運命」と呼んでいるはず。その「運命」に対して、数ヵ月程度の誤差はあるかもしれませんが、一年もの誤差ってかなり大きいのではないでしょうか。

 

海・かいは天国に還ってやるべきことを早くやりたかったはず。

 

それが一年もずれた、ということに違和感を感じました。

この違和感の正体には

 

◎ 海・かいがコミュニケーターさんにサービスをして事実と異なるメッセージを伝えた

 

◎ 同時に海・かいは私を喜ばせようとした、あるいはこんな時にまでゲームを楽しみ、「見破れ

  るかニャ、僕ちんのこの作り話が」との真意があった

 

この二つに集約されるような気がしました。

 

前者は。

 

◎ こう言われれば私が喜ばないはずはない。同時にコミュニケーターさんに対して「素敵なメッ

  セージをありがとう」と感じないはずはない。コミュニケーターさんと私の関係をより深めよ

  うという海の計らいもここにあった。 ← つまりこれも天の計らい

 

後者に関しては。

 

◎ 純粋に嘆き哀しむ私の心を少しでも軽くしようとした。あるいは天国に還っても僕ちんは遊び

  好きニャ、ママとはこんなゲームをずっと楽しめるニャ、僕ちんの作り話を見破れるか見もの

  ニャ、とのかなり高度な遊び心を伝えて来た。

 

 

う~ん、どうでしょう ?  すべて「アリ」みたいな気がしてきました。でもなんだか一番最後の「遊び心によるお試しゲーム」というのが一番海・かいらしい気がするんです。同時に「どうニャ、天国って楽しいんだ、ママにわかるかニャ~~」 って天国での楽しい生活を感じさせたくてワザと「一年も長居しちゃったニャ」って言ってきたような気がします。

 

なぜこんなお話をしたのかというと、動物君はこちらにいる時も、旅立ちの時も、そして天国に還ってからもいつもずっと私たちを愛でくるんでくれていて、その愛の感じ方、受け取り方は人それぞれだけど、そこに何かしらの「遊び」の要素を組み込ませているのかもしれないな、とそんなことを感じたからなのです。

 

華実のお友達わんこ君も最後、焼き芋を食べたって、なんかホノボノしませんか。あとで思い出しても、「ほら、あの時焼き芋食べてその後天国に行ったんだよね」みたいな、温かい想いがそこに残されている感じがします。それが彼らの「愛」。まさしくそれだけで心がホクホクする感じ。

 

海・かいは天国に還ってから私にたくさんのメッセージを送って来てくれています、その中の一つ、私の最幸のお気に入りは『joyの波動で生きろ』というものです。

 

人生をトコトン楽しんで、いつも遊び心を忘れずにニャ、という海・かいさまらしいゆる~~いメッセージ。

 

おそらく、あちらの世界では海・かいは新入りわんこ君のお世話役を仰せつかっているのではないでしょうか。

 

海・かいちん、相変わらず大忙しを楽しんでいるんだよね ! 新入り君ともすっかり仲良くしてるんでしょ。大丈夫だよ、こちらもすべてうまくいってるから。新入り君にも伝えて。「安心して」って。

 

今はお骨になっているというわんこ君の肉体。でも魂は無限大に自由な世界に戻っているんですものね。さらにさらにおっきな愛を飼い主さんのところに送りこんでいることでしょう。少しだけ私のところにも「おすそわけ」が届いたのかもしれないな、なんて。

 

あのフワフワの真っ白な姿に逢えないのは淋しいけど、でも、「ありがとう !」

 

そっか、あのわんこ君も海・かいも「フワフワ真っ白」軍団のメンバーだったのね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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