当エッセイ、少し間が空きました。その間、マカオ旅行に行ってきました。
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さまざまな解放劇が繰り広げられた今回のマカオ旅行。戻って来てからもその勢いはとまりません。
マカオ行きに先駆けて、わが家はプチ断捨離&大掃除状態でした。愛犬、愛猫のお世話のためにペットシッターさんをお願いしたからです。その流れで帰宅してからも毎日が断捨離モード。お仕事をしながらなので時間は短いけれど、それでも毎日続けることができるなんて、それ自体、大きな変化です。
きのうのこと。リビングのテレビボードの整理をしていたら。
「ウッ」
急に気持ち悪くなってしまいました。理由は自己嫌悪。
◎ なぜ私はこんなにも不要・不用なものをしまいこんでいるのか
◎ なぜ私はこんなにも同じようなものを買い込んでいるのか
◎ もしかして私はモノを捨てることに罪悪感を感じているのかも
大まかなところはそんな感じ。せっかく綺麗にしようとしているのに、なんなんだ、この気持ち悪さは。
そう思いながら調べてみたら。
私はどうやら「注意欠陥障害」の傾向があるらしいということがわかったのです。「注意欠陥障害」とは脳の機能の問題で例えば整理整頓が苦手だったり、段取りがうまく取れなかったり、集中力にも課題あり、のようないわゆる「発達障害」の一つを意味する言葉とその状態です。
真剣に悩まれている方にとっては不謹慎に聞こえるかもしれません、あくまでも個人的に、ですが調べているうちに、なんだか笑みがこぼれてしまったのです。
ひとつには、アメリカでは10人に1人が注意欠陥障害との診断を受けているらしいこと。
「なぁんだ、結構お仲間がいるのね」
ひとつには、私は細かいことが苦手で例えば旅行なども計画を立てるということはほとんどせず、たいてい「いきあたりばったり」。で自分ではそのことが結構気にいっていたのに、世間的にはそれは「発達障害」と言われてしまうようなこともある行動だということ。
「私は単なるアバウト、単なる気まぐれではなく、脳にそういう機能がない、ということなのね」
ひとつには同じようなモノをたくさん揃えてしまうという特徴があるということ。
「なぁんだ、私のこの性格は単なるズボラから来ているものではなく、これも脳の働きから来ているのね」
そう、断捨離に際して私が気持ち悪くなってしまったのは、どうやら私の脳には断捨離能力に欠けるところがあって、その不得意は単なる「怠け心」から来ているわけではないらしいということを伝えてきくれるためのものだった、ということなのです。
なるほど !
わが家では食器のしまい方でよく主人が私に文句を言うんです。
「なんで前と同じところに同じ種類のものをしまえないの ? ちゃんとやってよ」
「いいじゃない、別に。楽しいでしょ、どこに何があるか毎回違うレイアウトで宝探しみたいでさ」
「いやなんだよ、ちゃんとやってくれなきゃ。ちゃんとやろうよ」
低レベルでの口論的やり取りですよね(笑)
でもきちんと理由があったんです、私の脳はそうできていない、ということ。
なぜか嬉しくなっちゃいました。私は人と同じことができなくて、自分では個性的だと感じていても、人からは「変なヤツ」と言われることも多くて。「変なヤツはいけないの ? 」とそこで自己否定が生まれ、苦しんでしまうこともあったのです。
脳が違うんじゃ仕方ないじゃない。というか、それが私の個性なんでしょ、という気分。結構気分爽快です。何かがスルスルっとほどけていく気分。
早速、「大人の注意欠陥障害」に関する本を買っちゃいました。まだ届いていないけれど読むのが楽しみ。私は今まで「とにかくアバウト」というセルフ・イメージを大事にしていたんですが、それを理解してくれない人も多くて、「私のアバウトさは欠点なんだろうか」と悩むことも少なくありませんでした。
自分の脳は人とは少し違っていて、それによって人が簡単にできることが私にはなぜかできなくて。それを社会的には「障害」という言葉で呼ぶこともあるらしいけれど、そこに秘められた「恩恵」は何だろう。
ひとつわかったことは、私のようなタイプの人間は、どこかで誰かのサポートを受けないと人とは同じように事をすすめられない、という特徴があるらしい、ということ。
つまり。
人は一人では生きられないよ、人は支え合って生きるものだよ、頼ってもいいんたよ、困った時は誰かを。すべてを一人きりでやらなくてはいけないなんて考える必要はないんだから。みんな、お互い足りないところを補いあって、そして得意なところをのばして行けばいいんだよ。そうやってできてるんだ、何もかもがね。
という天からのメッセージが届いたような気分なのです。
主人と私は性格が正反対のところが多く、主人はとにかく堅実&現実的、さらに細かい。私は直感&直観派、さらにアバウト。主人は最近家計簿をつけ始めたみたいです、私はかつて一度もつけたことがありません。
なぁんだ、お互いがお互いの足りないところをかばい合うために一緒にいるんだ。
それがわかっただけでもミッケもの。
それにしても。よくそういう脳でここまで頑張って来たよね、ときっと誰も言ってくれないでしょうから自分自身をほめてしまおうと思いました。
実はこのお話にはもう一つの側面があって。
スピリチュアル的な情報によると。
私のようなタイプは、インディゴ・チルドレンと呼ばれる系統で、地球の波動を高めることを魂のお役目として命を授かった、そういう人に多い特徴があらわれているだけ、という説があるのです。実際インディゴ・チルドレンと呼ばれる人たちは私よりは大分年齢が低くなるようですが、その応援チームとして、さまざまな年代のインディゴ層が存在するらしいのです。
何もインディゴだから素晴らしい、とかすごいとか言ってるわけではありません。興味深かったのは、インディゴたちは時に「注意欠陥障害」と診断されることも少なくないということ。
かたや、脳の機能が地球での生き方には合わないよ、と言われ、かたや、地球でやることがあるからそのことを優先したら他の人とは結果的に変わってしまっている、という捉え方をされ。
私がインディゴであるかどうかはわからないのであくまでも仮説です、私たちの性格的特徴とも思える脳の機能は
地球から視た視点
と
宇宙から視た視点
はまったく異なるものであるらしいということが見え隠れしているのかもしれません。
私は大人ですし、日常生活には困らない範囲、もしかしたら周囲の人には多大な迷惑をかけていても私だけ気が付かないだけなのかもしれないけれど、かなりお気楽モードなので比較すべきではないかもしれませんが、お子さんの場合は、脳に作用するお薬を治療用に使う場合もあるんだとか。それで症状が改善していればいいんですけど、元々の脳の機能はお薬では変わらないのではないかと。
だからと言って今の私に何ができるか、はわかりません。おそらく、なのですがカウンセリングとヒーリングは、症状改善の一助の可能性はあるのではないかと感じています。そのためにも、自分のこの状況をさらに深く見つめることが求められているような気がします。お子さんだけでなく、大人にも多い脳の特徴のようです。今回ヒョンなことであらわれた私への自己診断の機会も意味のあることなのかもしれません。
人の課題はそれぞれ。何が良いとか何が正解とはありません。
何かを捉える時に、ネガティブな面だけでなく、ポジティブな面だけでなく、さまざまな面からのメリット、デメリットを総体的にみていくことで、課題改善の目安が見つかることがあるかもしれませんね。
あえて、私が自分のことをお話したことも何かのご参考になれば、との思いからです。
さて。
私の断捨離は続きます。
断捨離に関する否定的な記事も見つけました。読んでみると「ふむふむ、なるほど」と思える記事でした。
どんなこともある特定の「断片」だけをみて判断しないこと。
できるだけいろいろな面からその実像をのぞこうとしてみること。
どんなことも「程ほど加減」を自分自身で見極めること。
どうやら今回の断捨離モードは、そんなことを再認識するためのチャンスとしてプレゼントしていただいたもののようです。